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村上 密 Blog

奉仕中心の教会か信仰中心の教会か

 日本の教会は教会員の熱心な奉仕によって支えられています。しかし、場合によっては、熱心さが強調され過ぎて、家庭生活とのバランスを崩し、負担になっています。教会員が教会活動にのめり込んでいると家族は教会から身を引きます。教会員の熱心さが家族を福音から遠ざけることもあります。又、熱心な人は他者の評価を気にする傾向にあり、身近な人が行き過ぎた熱心さを注意しても無視します。奉仕が中心の教会は礼拝会や祈祷会への教会員の出席をことさらに強調し、教会員の家庭生活と社会的活動が疎外されています。

 私は自分の牧会する教会において、信仰中心の教会形成を心掛けています。教会員に奉仕が過剰な負担とならないように気をつけています。奉仕と労働は無償か有償かの違いですが、奉仕も多ければ教会員には負担となります。できるだけ特定の人々にではなく、できるだけ多くの人で分担し合うように心掛けています。奉仕は強制せず、自主性を重んじます。礼拝会厳守を言わずに、祈祷会も積極的に参加するように強調もしません。礼拝は信仰生活そのものであり、日曜日の礼拝は礼拝会で、礼拝の一部です。もし、日曜日に何か用事があっても、とがめだてすることはありません。報告の義務もありません。家庭を大切にするように教え、社会に貢献するクリスチャンになるように教えています。このような方針は、熱心な人から生温かいと思われるでしょうが、結果的にはクリスチャンホームが増え、礼拝出席者も増えています。福音は前進しています。

 奉仕中心の教会は、塩の固まりが教会の中にあります。信仰中心の教会は、塩を家庭や社会にまんべんなくまぶす方法です。伝道熱心はよいことですが、伝道にだけ教会員のエネルギーが向けられるとき弊害が生じます。急かされているようで、人と穏やかな人間関係が築けません。私が懸念するのは伝道熱心で奉仕中心の教会の教会員の言葉です。特にムーブメントを次々に取り組む教会の教会員の言葉は、普通の人に伝わりにくい言語が多過ぎます。日本にいながら、独特の文化が小集団の中に形成されているようで、奇妙に見えます。そして、日本の文化や習慣に対して対抗意識が強く、神経が過敏です。特に霊の戦いを強調する教会に上記の傾向が強く出ています。自ら社会的に疎外される要因を作り、戦争心理に取り付かれ、精神的に疲れ、心の病いが増えています。正しい教えで人々が疲れ果て、心の病になるでしょうか。奉仕中心の教会の自己点検が必要だと思います。
by maranatha | 2009-06-11 14:07
宗教問題

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