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村上 密 Blog

勝訴への苦言

 沖縄リバイバル教会の勝訴に、多くの人々の祝辞と祝いの品々が儀間氏に届いたことを知りました。これらの人々は一体何を祝っておられるのでしょうか。収支報告もない、役員会もない、「教会」という看板を掲げた個人商店の「教会」運営に賛同する人々の気が知れません。特に、有賀喜一氏は沖縄リバイバル教会の広告塔の役割を担ってこられました。JCJIネットワークは宗教法人を取得せずに、独裁的な「教会」運営をモデル教会として推薦しておられるのでしょうか。有賀氏はカルト化した教会、問題が生じている教会で奉仕する筆頭です。そのような奉仕のあり方に何ら反省の弁も聞こえてきません。呼ばれればどこへでも行くというのが氏の生き方です。そして、それを利用する人々がいるのが現状です。選び取る責任が立場ある人には必要です。

 さて私は沖縄リバイバル教会の勝訴に対して苦言を呈したいと思います。長々とした苦言ですが私のことばではなく、ユダヤ教の教師の言葉を借りた苦言です。ラビ・ピンハス・ペリーの『トーラーの知恵』(訳者 手島勲矢・上野正 ミルトス 1988.6.6)は知恵に満ちた本です。購読を勧めます。「会計報告の責務」「神と人の前に」「モーセへの中傷」「義捐金を集める者」以上4回に分けて引用します。

「会計報告の責務」(トーラーの知恵より)

 幕屋の建設が完了したとき、聖書にはこの多面的な建造物のあらゆる細部にわたって正確に列挙した一つの長い報告が書かれてある。それはある意味でくり返しのように見えるが、しかしそうではない。天幕の建設に使ったすべての物の一覧表のためにトーラーの数章(出エ5~40章)がさかれているのには、一つの重要な目的がある。その目的とは、公の資金を扱う者に会計報告の責務というものは絶対不可欠のものだと教えることであった。

 モーセ以上に信頼できる者がおろうか。それについては神ご自身、「わがしもべモーセ、・・・・・彼は私の全家の中で忠信なる者である」(民数12:7)と証しているほどだ。また、モーセの模範的な献身的共働者たち、たとえば工事の総監督ウリの子ベザレル、天成の技術者アホリブなど、聖所の工事のために神が自ら選んだ、心に知恵のある者たちの仕業に誰があえて不正の疑いをかけるだろうか。

 にもかかわらず、「幕屋、すなわち証の幕屋に用いた物の総計は次の通りである。すなわちモーセの命に従い、・・・・量ったものである」(出38・21)とある。多くの金が、銀が、銅が、この工事の計画のために献上されたが、この工事の中で使われた正確な量と使用場所がここで報告される。

 公の資金をとりしきる人間にとって、非の打ちどころのない評判やその人に与えられている無制限の信用というものだけでは、決して十分ではない。モーセは、私たちに公開会計報告を設けて公職にある人間にいつもつきまとう中傷の口実を封ぜよと教えているのだ。
 人が自分で大丈夫と思ったり、過失なく公共事務を扱っていると自認しているだけでは決して十分ではない。たとえ全能の主がその人の欠点のない正直さを証したとしても十分ではないのである。

by maranatha | 2009-07-16 10:16
宗教問題

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