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村上 密 Blog

権威

 パウロは権威について次のように語っています。「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます」(ローマ人への手紙13章1、2節)。
 そのパウロがサンヒドリン(ユダヤ人の宗教的最高議会をさす名称)の最高指導者である大祭司に対して従ったでしょうか。いいえ、彼は従いませんでした。サンヒドリンで「大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。そのとき、パウロはアナニヤに向かってこう言った。『ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。』するとそばに立っている者たちが、『あなたは神の大祭司をののしるのか。』と言ったので、パウロが言った。『兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、【あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない。】と書いてあります。』」(使徒の働き23章2~5節)パウロは「さばく座に着きながら」と言っているのでアナニヤが大祭司と分かっています。なぜ、「大祭司だとは知らなかった」と言うのでしょうか。パウロは嘘を言っているのでしょうか。いいえ、これにはわけがあります。アナニヤが律法にそむいてパウロを打てと命じたからです。パウロは大祭司ががその務めにふさわしく振る舞うなら敬意を払ったでしょう。敬意を払うに価しなっかたので「ちっとも知らなかった。」と言たのです。回りの人はパウロに対して何の行動もしていないので、パウロの言葉を理解したようです。パウロは「あなたの民の指導者を悪く言ってはいけません」と言うユダヤ教のミドラシュの1節を引用したのです。それは権威を持つ者への敬意は、それに価する人に払うと言う意味を持っていました。パウロは白く塗った壁、偽善者に対して、イエス・キリストと同様にののしりました。
  「権威に従え」「牧師は神の代理人だ」「牧師に従うことは神に従うことだ」「牧師に従え」 このように権威を振り回す牧師を、読者は見たことがあるはずです。権威は振り回すものではありません。権威を具えている人は権威を口にすることをしません。それは強いられて認めるものではない性質のものです。最近、権威という言葉は不道徳で、欲深い、威張り散らす牧師がよく口にする言葉に成り下がっています。聖書に基づいた生活をしない牧師が権威を振りかざす時、「あなたは牧師ですか?ちっとも牧師に見えません。」と反論してみてはどうでしょう。あなたが牧師だと思うから腹立たしいのです。偽牧師だと思えばよいのです。事実、聖書を教えながら聖書から程遠い生活をしている牧師に敬意を払う必要はありません。
 最近、権威を主張する傾向がキリスト教会にあります。弟子訓練や教会成長の影響です。この教えの行き過ぎた結果が、HCC、ビュンの問題として表面化しました。私は沖縄でこの「権威」を振り回す牧師の話を度々聞きます。沖縄はカルト化が進んでいるところです。宗教法人をとらず、役員会も総会もない、億の年収があても収支報告もない独裁的な沖縄リバイバル教会を「健全な教会」と裁判の陳述書で持ち上げる牧師会が存在しています。そして、陳述書が牧師会の総意でないのに総意と書いた人物がいても問題にしません。日本教会成長研修所(JCGIネットワーク)の要職にある人物たちもこのような教会を「健全な教会」と証言しました。それを問題にしないことがJCGIの問題です。そして、「このように書く人物から悪霊よ出て行け!」と単純な思考で悪霊を追い出しをする「霊の戦い」に傾倒する教会も権威主義に陥っています。間違った権威に惑わされてはいけません。
by maranatha | 2010-04-09 22:15 | 権威
宗教問題

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