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村上 密 Blog

カルト王国

 カルト化した教会の指導者は、「キリスト教会」という名の自分の王国を建設しています。王国では、指導者が権威化され、神格化されています。また、王国は指導者による支配と服従によって維持されています。このカルト王国は、見えない神より、見える権威主義的な指導者に依存する傾向にあります。聖書から王国について見てみましょう。Ⅰサムエル記8章には、神疎外の人間中心の王国が建設されたことが記録されています。

民衆の要求
 民衆は「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王をたててください。」(5)「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき」(19、20)と神に要求しています。偶像を礼拝する他国の民と同じようになりたいと言っています。

神の見解
 神は「彼らを治めているわたしを退けた」(7)そして「わたしを捨てて、他の神々に仕えたことだった」(8)と、民のこころを見ておられます。

王の権利
 神は王の権利について、「とる」「させる」「王の奴隷となる」と言及しておられます。
 王は何をとるのでしょうか。「息子をとり」(11)、「娘をとり」(13)「畑や、ぶどう畑や、オリーブ畑の良い所を取り上げ」(14)「穀物やぶどうの十分の一をとり」(15)、「奴隷や、女奴隷、それに最もすぐれた若者や、ろばをとり」(16)あなたがたの羊の群れの十分の一をとり」(17)神はとられることを覚悟しなさいと怒っておられます。
 王は何をさせるのでしょうか。「走らせる」(11)「耕させ」(12)「従事させ」(12)作らせる」(12)「仕事をさせる」(16)これは王が民を使役することです。
 そして、王は民を「王の奴隷」(17)とします。

神の警告
 神は「その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めても叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。」(18)

自分中心の王国
 ここには「自分」(11、11、12、12、12、14、15、16、18)という言葉が多く出てきます。これは王が中心で、神が中心ではない、世俗の王の姿があります。

 以上、王制について書きましたが、なんとカルトと共通していることでしょう。それでカルト王国と題をつけました。聖書の中では、神は王の不正や腐敗を裁くために預言者を立てました。しかし、カルト化した教会の牧師を裁く預言者はいません。カルト化した教会内で預言者が出るときは、指導者への裁きではなく、教会員への裁きの傾向があります。にせの教会に本当の預言者がでれば、教会から追放されるでしょう。カルト化した教会の牧師に愛される預言者は偽者です。本物の預言者とカルト化した教会は共存できません。
by maranatha | 2010-05-17 17:58
宗教問題

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