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村上 密 Blog

権威について

カルト化した教会の牧師は、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。」(ローマ13:1)を強調する。この権威はローマ帝国の官憲を指す言葉である。しかし、彼らは「牧師の権威」の聖書的根拠としている。それは恣意的な拡大解釈である。彼らは聖句の「従う」を「服従」に、さらに「絶対服従」に持っていく。

カルト牧師は無条件の服従を要求するが、聖書は人間に無条件の服従を要求していない。神は人間に自由を与えられた。戒められているのは自由の乱用である。さて、ペテロとヨハネがローマ帝国の植民地であり、そのユダヤのサンヒドリン(最高議会)の命令に従っただろうか。「いっさい、イエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」(使徒4:18)に対して「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」(使徒4:19)と反論した。ペテロとヨハネはサンヒドリンの権威の上に神を置き、神が立てた権威と神をイコールと見なしていない。彼らはこの世の権威に対して従うを絶対的要求でなく、相対的要求と見ている。

教会が国家の権威を強調し国家に従う時、歴史の中で大きな罪を犯してきた。神の教えと国家の命令が相反する時、私たちは信仰と良心に基づいて「ノー」を選択できる。そもそも、クリスチャンが間違いに陥るのは、神の教えと牧師の教えをイコールにするからである。聖書には偽キリスト、偽使徒、偽預言者、偽教師、偽兄弟と偽者への警告がいたるところにある。自分の教会の牧師は大丈夫と安易に信じことがそもそも間違いである。

問題は、聖書の解釈を牧師が独占していることである。情報を遮断し、牧師の解釈だけが正しいと信じ込まされている。組織神学も解釈学も十分に学んでいない牧師が権威を振り回し、服従を強制する。なぜ権威を強調するのか。それは自分の学びの不足を隠すためである。私の知っているカルト化した教会の牧師の説教はとても聞けたものではない。貧しいのに世界一すばらしいと思い込んでいる教会員が哀れである。

プロテスタントはカトリックの聖職者が独占していた聖書を、自国の言葉に翻訳して信徒が読めるようにしました。今日、信徒に要求されているのは、聖書解釈を牧師に独占させないことです。惑わしが多くなってきました。そこで、自分でも聖書の学びに取り組んではいかかでしょうか。聖書、聖書辞典、注解書、コンコルダンス、解釈書等があれば自分で聖書を学べます。惑わされないためには、牧師依存に陥らず、自立した信仰と学びが大切です。

パウロは「上に立つ権威」を勧めていますが、キリスト者がローマ帝国を敵と見なし、熱狂主義に陥らないためです。ユダヤはローマ帝国にとって治めにくい植民地でした。暴動が絶えず起きました。終末論的二元論(神と悪魔の闘争)はキリスト教にも浸透しやすい過激な教えです。教会がこれを受け入れたらテロリズムに陥ります。パウロはローマの平和の中で福音を広めることができました。ローマは福音宣教を禁じてはいません。イエスの名を伝えてよいのです。そのような状況で、パウロはローマ市民としての権利を行使したりもしました。天国の国籍を持ちつつ、ローマの市民としての義務も果たし、福音宣教に励んだのがパウロです。

カルト牧師は、神も法律も畏れず、教会員に対して、精神的虐待、性的虐待、身体的暴力、経済的搾取を行っています。裁判では「良心に誓って嘘をいいません。」と宣誓しながら、平気で嘘を並べ立て、裁判官を欺き、正義を歪めています。このような牧師の権威にしたがっていたのかと、被害者は胸を裂かれる思いで闘っています。これは他人事ではありません。一世を風靡した牧師、多くの牧師から指示されたムーヴメントの提唱者、信頼された聖書教師、大教会の牧師などの不祥事が明るみになっているではありませんか。そのような牧師と深い関わりのあった牧師たちに反省もなく教会員が従っていたら他人事では済まされなくなります。深い反省もなく新しいムーヴメントに飛びつき、大衆を動員する牧師とクリスチャンに私は危うさを覚えます。興行の責任者や招かれた器を権威ある人と見なす幼稚な考えから脱出しましょう。

最後にカルト化した教会で傷ついたクリスチャンは、ある聖句にとても敏感です。火傷の傷は誰が触っても痛いものです。医者が触っても痛いのです。しかし、治療のためにはあえて痛みを受けなければなりません。ある聖句を避けつづけては傷は癒されません。その聖句の正しい理解こそが癒しにつながります。真理はあなたがたを自由にします。避けていた聖句に取り組んでみてください。ここで取り上げた聖句は、もっとも嫌われている聖句です。権威と言う言葉を聞くとフラッシュバックが起きる人もいるでしょう。権威と言う言葉を聞かずに、一生を終えることはできません。私は逃避ではなく、取り組むことが癒しにつながると信じています。
by maranatha | 2018-03-23 23:37 | 権威
宗教問題

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