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村上 密 Blog

教会はいかに裁くべきか(コリント5章と6章の関係)

 コリントの教会の中で起きている問題は、「異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいる」(5:1)ことです。このような問題がどのように扱われてきたか、類似した問題を歴史的に見てみましょう。

1 モーセの律法
「あなたの父の妻を犯してはならない。それは、あなたの父をはずかしめることである。」(レビ18:8)これに対する裁きは「これらの忌みきらうべきことの一つでも行なう者はだれであろうと、それを行なう者は、その民の間から断たれる。」(レビ18:29)この断たれるの意味は死です。

2、イエス・キリストの教え
イエスはペテロに「天の御国のかぎ」(マタイ16:19)を与えられました。この「天の御国のかぎ」とはマタイ18章15節から20節で、イエス・キリストが解説しておられます。それは兄弟が罪を犯したとき、どのようなプロセスで解決するかです。「教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。」(18:17)それは、教会の交わりに入れないということです。ここでは死ではなく、関係の断絶です。

3、エルサレム会議
「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。」(使徒5:28,29) ここではどのように裁くかは書かれてありませんが、不品行に対する裁きはモーセの律法ではなく、イエス・キリストの教えが適用されます。

4、パウロの判断
パウロの「不品行」に対する判断は「あなたがたの中から取り除く」(1コリント5:2)ことです。パウロは「天の御国のかぎ」をコリントの教会の不品行を犯した人に適用しようとしました。しかし、教会は「天の御国のかぎ」を用いませんでした。教会は秩序を維持できない、無力な共同体となっています。

 コリント教会は異邦人の中にもないような不品行を犯した人を裁くことができないばかりか、「ごく小さな事件」(1コリント6:2)さえ裁くことができないで、不正をした人が世の裁判に訴訟を提起しました。パウロは不品行と不正な訴訟人を念頭に「正しくないものは神の国を相続できない・・・不品行な者・・・盗む者・・・略奪する者はみな・・・神の国を相続することができません。」(6:9、10)教会が共同体から取り除くことができなくても、神の国からは除外されることを伝えています。この世においては、破門に価する人が教会にいても、神の国では受け入れられないのです。教会の不完全さは「最後の審判」の最終判決で補われます。これがクリスチャンの希望です。
by maranatha | 2011-03-10 22:17
宗教問題

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