2012年 02月 03日
カルト |
ウィキペディアには、2005年に「新興宗教『聖神中央教会』」、2008年に「キリスト教系・急進カリスマ派の沖縄キリスト福音センター・美浜教会」の記事があります。年代は問題とされる事件が起きた年ではなく、注目された年です。聖神中央教会が「新興宗教」と書かれてあることに違和感を覚える方もおられるでしょう。この時期に「キリスト教」と表現するのがいささかためらわれたからです。今なら、沖縄キリスト福音センター・美浜教会と同様に、「キリスト教系・急進カリスマ派」がふさわしいでしょう。いずれも、発覚以前から教会内部で反社会的な問題が起きていましたが、その当時に問題を扱える人がいませんでした。被害者が問題を公表したり、裁判に提訴したりすることを禁じられていたからです。両方の問題に関わった者として、残念なのは多くの問題が時効だったことと、被害者が訴える力を精神的にも経済的にも奪われていたことです。私は弁護士と協力しながら裁判を支援し、精神的なケアに努めました。両方の件で、相談、セミナー、グループケア等で関わった人は500名を超えます。今だ深刻な精神状態にある方々もおられます。
2005年は、聖神中央教会事件で「教会のカルト化」が注目され始めた年です。問題そのものは1980年代から起きていました。教会の不祥事が表面化するのに20年以上経つのは、いかにカルト化した教会で「縛り」が強いかを示しています。教会のことは教会で扱うことが一般的ですが、事と次第によっては裁判を考慮しなければ、被害者救済は進みません。「教会の恥」「福音宣教の妨げ」とかいった言葉で、裁判の権利を奪ってはいけないと思います。カルト化した教会では、牧師は独裁者です。教会内部の問題を公平に裁くことはありません。「教会のことは教会で」という従来の考え方が、被害者救済を妨げているのです。裁判支援をする私に非難の声が多いのは、従来の発想を超えられないからです。それでは裁判を非難する人が具体的な支援をするかといえばそうではありません。単なる批難で終わています。これでは傍観者です。キリスト教の隣人愛はどこにあるのでしょう。しかし、カルト化の被害を経験した人々が、支援に取り組んでいることに希望があります。これは痛みを役立てる取り組みです。カルト化の予防は、被害者の痛みの上に成り立っています。
2005年は、聖神中央教会事件で「教会のカルト化」が注目され始めた年です。問題そのものは1980年代から起きていました。教会の不祥事が表面化するのに20年以上経つのは、いかにカルト化した教会で「縛り」が強いかを示しています。教会のことは教会で扱うことが一般的ですが、事と次第によっては裁判を考慮しなければ、被害者救済は進みません。「教会の恥」「福音宣教の妨げ」とかいった言葉で、裁判の権利を奪ってはいけないと思います。カルト化した教会では、牧師は独裁者です。教会内部の問題を公平に裁くことはありません。「教会のことは教会で」という従来の考え方が、被害者救済を妨げているのです。裁判支援をする私に非難の声が多いのは、従来の発想を超えられないからです。それでは裁判を非難する人が具体的な支援をするかといえばそうではありません。単なる批難で終わています。これでは傍観者です。キリスト教の隣人愛はどこにあるのでしょう。しかし、カルト化の被害を経験した人々が、支援に取り組んでいることに希望があります。これは痛みを役立てる取り組みです。カルト化の予防は、被害者の痛みの上に成り立っています。
by maranatha | 2012-02-03 19:15

