2012年 04月 11日
天の御国のかぎ
イエスは天の御国のかぎを使いました。「イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。『異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤの家に行ってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。』」(マタイ5,6)イエスは、異邦人とサマリヤ人への宣教を禁じ、イスラエルに限定しています。しかし、「わたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(28:18、19)とあるように、イエスの十字架と復活を通して、イスラエル限定を解きました。
弟子たちは天の御国のかぎを使いました。エルサレム会議です。会議では、異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守るように命じるべきであると主張するものたちがいましたが、「聖霊と私たちは、どんな重荷も負わせないことを決めました。すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。」(使徒15:28、29)と異邦人教会に伝えるように決めました。 天の御国のかぎは、イエス・キリストをメシア(救い主)と信じる共同体(教会)の中に起きる様々な問題を扱う決定権を指しています。信仰する兄弟間での罪の問題をどのように処理するか(マタイ18:15~20)、マッテヤに使徒職の地位を継がせること(使徒1:15~26)、配給の件(使徒6:1~6)、ヨーロッパ伝道(使徒16:6~10)等は、いずれも教会における重要な決定です。
今日、礼拝厳守、十一献金厳守を聖書的と教える教会がありますが、それは聖書的ではなく、律法的です。割礼を守らせている教会があるでしょうか。いいえ、ありません。律法的だからです。自ら進んで、日曜礼拝を休まないことは問題ありません。しかし、厳守するように命じることは律法的です。自ら進んで、十一献金することは、問題ありません。しかし、必ずしなければならないものと命じることは律法的です。礼拝厳守と十一献金厳守は、個教会が決定したことだから、それは天の御国のかぎを使ったことだと主張するならば、エルサレム教会会議で解かれたことを再びつなぐことになります。律法的です。