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村上 密 Blog

自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」(新改訳 レビ19:18)
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」新改訳 マタイ19:19)
「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」(口語訳 レビ19:18)
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。」(口語訳 マタイ 19:19)

 ある人が「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。」の「自分を愛するように」はどのように愛することでしょうか、と真剣な質問をしてきた。いろいろと注解書を調べてみたが「自分を愛するように」について十分な解説はなかった。隣人愛を勧めている聖書箇所であるから、十分でないことは分かる。他にもいろいろ調べてみたが、なかなかふさわしい解説を見つけることはできなかった。また、聖書の中に、自分をどのように愛したらよいかを教えているところも見当たらない。新約聖書では「愛する(マタイ19:19)」はアガペーで表現されているから、自己愛、自己中心な愛を勧めているわけではない。それでは、自己犠牲的な愛(アガペー)で、自分を愛する(アガペー)ことができるのかである。キリストの私たちへの愛を知って、私たちは自分の愛する(アガペー)ことができるようになった。キリストは十字架に架かって、私たちの罪を赦して下さった。これほどまでにキリストは私たちを愛してくださった。罪深い自分を愛することはできないが、罪赦された自分を感謝して受け入れることはできる。何かをする力を十分持ていない自分を愛することはできないが、神が共にいて力を与え助けてくださる自分を受け入れることはできる。神の愛から離れた自分ではなく、神の愛の中に生きる自分、神との関係が断たれた自分ではなく、神と共に生きる自分を愛することはできる。それでは、私たちが自分を愛する(アガペー)のは神の前に正しい生活を過すことができるときだけか。いや、私たちは神を信じていながら、罪を犯すことがある。その罪から神の下に帰るために、自分の罪を憎み、悔い改めるとき、実は自分を愛しているのである。なぜなら、神とのあるべき姿、あるべき姿に帰ろうとする生き方は、神のみ心にかなっているからである。だれも、罪を犯さずに生きていける人はいない。私たちは罪赦された罪人である。しかし、罪に甘んじ、悔い改めることをしないで、罪にまみれて生きるなら、悔い改めを説いてあられる神を軽んじることになる。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37)が先立ってこそ、自分と隣人を愛することができる。自分と向き合い、自分をどのように愛するかを問うても答えは出てこない。自分と神との愛の関係を築かなければ、自分を愛することはできない。だから、自分をどのように愛するかは、神を愛することから始めることである。罪を犯し、神を恐れ、自分の弱さに泣くときも、神の前に正直に悔い改めて生きること、これもまた、自分を愛することである。随分と長い回答になってしまった。思い切って自分を愛することはどんなことか、短い回答にするならば「義人は信仰によって生きる」ことである。最初に回答すればいいのにと突っ込まれそうであるが、長々と書いていて最後に湧いて出た回答である。
by maranatha | 2013-09-18 08:21
宗教問題

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