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村上 密 Blog

クリスマス

 クリスマスの説教をどれほどしてきたのだろうか。説教箇所は限られている。しかし、毎年毎年、クリスマス説教に取り組む度に、教えられることがある。今年は何度か星を題材に説教をしている。
 東方の博士たちが、星を頼りにエルサレムまで来た。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。」ヘロデは祭司長や学者たちに問いただした。「キリストはどこで生まれるのか。」ヘロデは、ユダヤ人の王として生まれた方がキリストだと思って質問をしている。だれも訂正していないので、ここにいる全員の一致した思いをヘロデは代弁している。博士たちに「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」博士たちは多くの犠牲を払って、本気で礼拝することを目的に東方からやって来た。ヘロデが礼拝するとは、嘘の口実である。内心は殺そうとしている。博士たちが帰って来て報告しないと、後で2歳以下の幼子を殺している。博士たちが、ベツレヘムへ向かうと、当方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。私が強調したいのはここである。「その星を見て、彼らはこの上なく喜んだ。」まだ、幼子を見ていないが、確信して、この上なく喜んだ。これが信仰である。彼らは幼子のおられる所まで進んで行き、幼子を礼拝した。会話を交わしたのではない。幼子は語ることができない。しかし、このお方が、キリストと信じて礼拝したのである。遠い旅をしてきた目的、それは礼拝である。礼拝がどんなに尊いことか。彼らが持ってきた、黄金、没薬、乳香に目が向かいがちであるが、礼拝こそが、最高の旅も目的である。ただし、このプレゼントは、彼らが意図しないことに使われることになる。それは、エジプトへの逃避行に役立ったのだ。星が博士たちを導いたが、神が星を用いられたのである。この神が、私たちの罪を赦すために、御子をこの地にお遣わしになった。かくも、神は私たちを愛してくださっているのだから、いまや、星に勝る神のことばをいただいているのだから、しかり学び、神に喜ばれる人生の旅路を歩いて行こうではないか。神の言葉が確かになると信じることができるならば、神の約束の数々の言葉を確信して、この上もなく喜ぶことができるはずである。まだ得てはいないが。

by maranatha | 2013-12-18 05:28
宗教問題

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