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村上 密 Blog

イエスをキリストと言ってはならない

 イエスはキリストである。しかし、イエスご自身が弟子たちに「わたしのことをだれにも言わないように」(マルコ8:29)と命じられた。なぜだろうか。イエスは弟子たちをよく知っておられたが、弟子たちはイエスをよく知らなかったからである。弟子たちが、イエスに従った動機は、ダビデ王国が再興され、自分たちが王国での地位を欲していたからである。まさか、イエスが十字架に架かるなどとは知る由もなかった。だから、イエスが「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえられなければならないと、弟子に教え始められた」(マルコ8:31)時、ペテロは「イエスをわきにお連れして、いさめはじめた」(マルコ8:32)のである。イエスはキリストである。しかし、弟子たちのメシア像は自分たちの願望を投影したものであり、イエスがしようとされることを理解できないばかりか、止めようとしている。このようなキリスト理解は間違った理解であり、正しい理解に至るまで、イエスがキリストであることは、弟子たちの理解で広められてはならないのである。イエスがキリストであることを良しとされた時は、ペンテコステの時であった。ペテロは「今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」(使徒の働き2:36)ペテロはイエスに受難の予告を否定した人物であるが、ここでは、イエスが予告されたことを理解し、イエスがキリストと信じて人々に語っている。

by maranatha | 2014-10-05 21:45
宗教問題

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