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村上 密 Blog

クリスマス

 東方の博士たちは、星の出現でキリストの誕生を知り、エルサレムへ旅立った。これは自然啓示に基づく行動である。祭司長たちや学者たちは、ベツレヘムでキリストが生まれることを知っていながら行動しなかった。これは聖書啓示への背反である。東方の博士たちは、星の研究者である。事実の確認は彼らの大切な仕事であるが、彼らの旅の目的は礼拝であった。祭司長たちや学者たちは神に仕え聖書を民衆に教える立場である。なぜ、神に最も近い仕事をする人たちが、最も神から遠く、最もベツレヘムから遠い人が、キリストに近いのか。それは、神と自分の間に誰を又は何を置くかで違ってくる。祭司長たちや学者たちはヘロデ王を神と自分たちの間に置いた。彼らは、神を畏れるのではなく、ヘロデ王を恐れていた。東方の博士たちは、ベツレヘムとペルシャ(?)の長距離をものともしなかった。ヘロデ王はどうだろうか。東方の博士たちから星による情報を得た。祭司長たちや学者たちから聖書による情報を得た。2つの情報を結び合わせれば、行動を起こしてもよかった。しかし、「ヘロデ王は恐れ惑った。」(マタイ2:3)「エルサレム中の人も王と同様であった。」(2:3)恐れ惑う人は行動できない。どうするか判断がつかないからである。ヘロデ王は、「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」(2:8)と言って、やがて「ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子を残らず殺させた。」(2:16)ヘロデ王は恐れと惑いを権力で取り除いた。しかし、ヘロデ王は、まもなく、神によってこの世から取り除かれた。体制の最も底辺にいる羊飼いが天使のみ告げに応じて、みどり子を捜しあてたことが、どんなにすばらしいことか。住民登録から除外され、ユダヤ教から破門され、裁判の証言さえできない羊飼いたちが、キリストの誕生の最初の証人として選ばれたのである。神は全世界を見ておられる。そして、博士たちと羊飼いを証人として立てられた。そして、時が流れ、最も遠くの日本にいる私たちにもクリスマスの良き知らせが届いた。そして、その良い知らせを聞いて、私たちは礼拝する民となった。私たちがより頼むものは聖書である。この聖書の光に導かれて、私たちの人生の旅は始まった。啓示の光が星の光に勝ると確信する人は人生を希望をもって歩む。たとえ暗き谷を歩むときも、インマヌエルの主と共に歩む。

by maranatha | 2014-12-12 22:25
宗教問題

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