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村上 密 Blog

壁が崩れる


 1980年代、急速に経済的な力をつけてきた福音派、ペンテコステ派、カリスマ派は、合同で超教派の集会を開催するようになった。それに伴い、それぞれの教派に属する教団と教会は、相互の交流によって壁が低くなり、外来講師の影響を受けるようになった。教派の壁と言うのは教理的な壁である。この教理の壁が低くなることで、教団外のムーブメントに対して影響を受けるようになり、教団は力をつけてきた個教会の自主性に任せることで、次第に特色を失って行った。

 教団は、力をつけた教会に対して、経済的協力を受けているので、あまり強く出ることができない。自主性に任せるとは美名で、口出しできないほど教団が弱体化したのである。このように力関係が変化してきたため、個教会の方針が、その教会の運命を左右することになった。教団は個教会にとって監督的立場である。その監督権、指導が弱体化することで、個教会の勝手次第になり、監督責任が生じた時には、教団は責任ある対応はできない。監督される教会が離脱をほのめかすだけで、経済的損失に目が向き、強く対応できない。教団は無力感に陥るだけである。カルト化した教会で、被害を受けた信者は、だれも救ってくれない状況に陥る。牧師不信が、教会不信になり、助けにならない教団不信にもなる。飼う者のない羊が山々をさまよい危機に瀕している。このような記事に共感をもつ人は被害者かその人々に寄り添う人々である。反発をもつ牧師は自分のことを言っていると思い込む。自分を分かっているではないか。

 壁が崩れることによって、何が起きているか。外から流れ込んだ教えや教師によって影響を受けた牧師は、教えに傾倒して羊を振り回し、何が正しいのかではなく、やっていることが正しいと信じて突っ走る傾向になっている。牧師の権威を強調し、全能感を持た牧師はもはや牧師ではなく、指導者である。羊に心を留めない、自己実現のために信者に従順を強制し、教会と信者を利用する。そして、自分の言うことを聞かない信者に対しては精神的虐待を加え、従う信者に対しては過重な奉仕と経済的搾取を行なっている。
by maranatha | 2015-04-08 18:53
宗教問題

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