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村上 密 Blog

試練と備えと祝福

試練の中にいる方へ、試練だと思って過ごすより、試練の意味を知って過ごすことが大切である。試練とは、人の心の中の奥に隠れたているものがなんであるかを調べるために試し、迫害や苦難によって人のこころを練ることを意味している。そして、試練を通して試し、練られた人には、備えと祝福が待っている。

聖書で最も有名な試練の個所は、創世記の22章である。「神はアブラハムを試練に会わせられた。」(1)試練の内容は「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(2)アブラハムの心の中にある隠れたものがなんであるか。それは「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」(12)である。神は、アブラハムがイサクを愛していることを知っておられる。イサクを愛することは悪いことではない。神はアブラハムのこころを知られた。それは、アブラハムが神を恐れていることである。この恐れは恐怖ではない。神を恐れ敬うこころである。そして、神のためにはなにものも惜しまないこころである。

イエスは教えられた。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも、息子や娘を愛する者は、わたしにふさわし者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについてこない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイ10:37~39)聖書には父と母を敬えとある。父母を愛することは悪いことではない。むしろ、こころから愛することが大切である。しかし、イエスはそれ以上に人がイエスご自身を愛し敬うことを求めておられる。イエスの弟子にふさわしい心構えは、人が最も大切にしている父と母、息子と娘、自分のいのちに勝って、イエスに従ってくる人である。ここは愛の否定ではなく、愛の優先を教えているところである。自分のいのちさえ惜しまないでイエスに従ってくる者が永遠のいのちを得るとの教えである。

アブラハムは神が「わたしが、あなたを多くの国民の父とする」(創世16:5)と言われた選びの器である。神は、その選びにふさわしい人にするために、アブラハムを練られた。試練を通して、アブラハムが神を恐れることがわかった。それゆえ神は、イサクの代わりに、雄羊を備えられた。試練の後には備えがある。「アブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、『主の山の山の上には備えがある。』と言い伝えられている。」(創世22:14)アブラハムが「ひとり子を惜しまなかった」(16)ので、神はアブラハムを祝福(17、18)された。「あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」(18節)神はかつてアブラハムに言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」(創世17:1)私たちはこのアブラハムの神を私たちの神として信仰生活を送っている。私たちもまた、アブラハムの子であるならばアブラハムの試練を経験する。それは、何を第一にするかの試練である。自分を第一にして生きるか。神を第一にして生きるか。神を第一にして生きるなら、何処にいても「アドナイ・イルエ」を経験する。そして、神はあなたを祝福される。

by maranatha | 2017-03-28 10:46 | 聖書
宗教問題

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