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村上 密 Blog

仮庵の祭りの燭台にまさるひかり

ヨハネ福音書には、仮庵の祭りの後に、姦淫の場で捕えられた女のこと(7:53~8:11)が書いてある。この記事は古い写本にはない。「イエスは彼らに語って言われた」(8:12)とあるが、女の傍には誰もいない。この「彼ら」とは「パリサイ人」(13)であり、7章52節の「彼らは」パリサイ人(45、47,48)である。この有名な記事は「仮庵の祭りの終わりの大いなる日」(7:37)の中に取り入れられた事件である。「朝早く」(8:2)は文脈に矛盾する。12節の「彼らに語って」は7章37節からの続きである。

なぜ、ヨハネはこの事件を仮庵の祭りの中に置いているのか。仮庵の祭りには「神殿の婦人の庭に4基の燭台を立て、点火して彼らを導いた荒野の40年間の火の柱を記念した」(注1)4基の燭台は火の柱を記念し、火の柱は神の臨在を現している。そのよう背景を踏まえて、イエスは「わたしは、世の光です。わたしに従うものは、決してやみの中を歩くことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)と語っておられる。世の光であるという証言は、イエスがキリストであることを示唆している。

イエスは、倫理的な道を踏み外し、律法によるならば石打ちの刑となる絶望の淵にいる女を「宮」(8:2)の中で、これ以上「やみの中を歩くことが」(12)ないように救いだされた。「まことの光が世に来」(1:9)たはイエスである。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(1:14)この「住まわれた」は仮住まい、仮庵を表す言葉で、イエスが肉体を仮庵とされたことである。まことの光が、わたしは世の光ですと証言し、燭台は神殿と庭を照らすが、わたしは世を照らす、真の光であると証言しておられる。

「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩くことがなく、いのちの光を持つのです。」(8:12)信じる者は命の光を持つ、それゆえ、「あなたがたは世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:14~16)とイエスは語られた。

by maranatha | 2017-05-08 23:19 | 聖書
宗教問題

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