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村上 密 Blog

怒りを裁いてはならない

カルト化教会を脱会した信者が、新しい教会を捜して困惑するのは、被害に遭ったことを怒って牧師に伝えたとき、裁いてはいけない、と牧師から言われる時である。なぜ、被害に遭ったのに怒ってはならないのか。おまけに、赦しなさいと言われる。被害者は、牧師が訴えをじっくり聞くのではなく、牧師の価値観を押し付けてくるとき、ここは自分を受け入れてくれる教会ではないと判断する。私は、カルト化教会の脱会者が、教会不信、牧師不信に陥っているのを対応している。もし、受け入れ教会が本気で対応しようとするならば、被害者の訴えを聞いて、聞いて、それでも聞いて、断定的な判断をしないで、なぜ怒っているかがわかる怒りに対しては、怒るのがわかりますと認めることである。赦しなさいと決して言ってはならない。なぜなら、カルト化教会の牧師は反省しているわけでもなく、被害者に謝っているわけでもない。被害者が被ったことを現在も残っている信者に行い続けている。そのような牧師に対して何も注意をしないで、目の前の被害者を従来の価値観で牧師が対応すると、被害者からは牧師が加害者側に立ていると思われるからである。牧師が、私は中立です、と言ってはいけない。それは被害の事実を聞いていながら、何もしないことである。火事が起きているのに、ただ見ている野次馬と変わらない。中立とは体裁のいい言葉で、要は傍観者である。最も悪い対応である。
by maranatha | 2017-07-21 22:13 | カルト化教会の被害者への対応
宗教問題

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