人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

村上 密 Blog

動物物語

書店で『その犬の歩むところ』(ボストン・テラン/訳 田口俊樹 文春文庫)を手に取り、流し読みをした。良かったので購入して読み始めている。内容には触れない。購読を勧める。

熊本の家では猫も犬も飼っていた。猫は時々いなくなり、母が猫山に行ったのだろう。やがて帰ってくるとよく言った。事実、猫は何回か帰ってきた。猫山があるかどうかは知らないが、猫は家につき、犬は人につくとも母が言っていた。記憶では猫は一度飼っただけである。犬は記憶にないほど小さい頃から飼っていた。初めの犬は、赤犬、白犬2頭である。小さいのに2頭を散歩に連れ出し、引きずられ、手を離さなかったので膝をすりむき、傷痕として残った。傷痕はあるがけがした記憶はない。この頃と今の性格は変わっていない。次に、コロと名付けた犬がいた。呼べば、飛んで来て、しっぽを強く振った。思い出深い犬で、私の性格形成に深くかかわっている。ある時、病気をして動きが鈍くなっていた。父がトラックをバックさせた時、いつもは直ぐよけるのに、その時はそのまま引かれて死んでしまった。私は泣き悲しみ、箱に入れ、自転車に乗せて家を出た。家の墓へ行き、スコップで穴を掘り埋めた。父がどこに埋めてきたと聞いたので、墓に埋めてきたと言った。父は怒らなかった。私があまりに悲しみ沈んでいるので、シベリアンハスキーをもらってきた。しばらく飼っていたが手放した。それ以来、犬を飼うことはしなくなった。私が犬好きなのを犬はわかるみたいであまり警戒しない。ある時、ある喫茶店に入った。猫がいて、私についてきた。お客さんたちが猫を呼び寄せ始めたが、猫は私の膝の上に乗った。驚きの声が湧きあがった。どうも、猫にも好かれている。動物たちには好かれているが、一部の人間たちには好かれていない。

琵琶湖の畔を娘と散歩したとき、トンビを草笛で呼び寄せた。一羽、二羽と集まってきて、最後には頭上高く十数羽が旋回し始めた。おとうさん怖いからやめてと言われた。富山でトンビが急降下して川原で跳ねていた。声をかけて、近づき、肩に乗せて宿泊先へ向かった。道々、土地の人が、トンビを肩に乗せて歩く人を初めて見たと声かけてきた。宿泊先に着いたとき、回復しているようだったので、飛べと言って放つと、元気に飛んで行った。トンビの恩返しはない。何もしてあげていない。ただ、止り木の代わりに肩を貸してあげただけである。どうも鳥からも好かれているらしい。

山の人が一番怖いのは、山道で動物に合うことではなく、道で人にすれ違う時と聞いたことがある。動物は先が読める。しかし、人間は何をするかわからない。人間ほど厄介な存在はない。私はその厄介な存在と関わり続けている。

ある時、お父さんは、鳥を飛ばなくできるよと子供に言った。やって見せてと言うので、公園に行った。鳩がたくさんいたので、エサを手に乗せ、その手に乗ってきた鳩の足を捕まえて、すばやく足をしごき、羽をたたみ、地面に横たえた。その鳩の目から線を地面に書いて、もう飛べないよと手を放した。鳩は飛べない。しばらく見てから、今度は飛ばしてあげると言って、手をパンパンと鳴らした。鳩は飛んで行った。子どもがもう一度と言ったので、今度は解説しながら金縛りにした。鶏でもどんな鳥でも金縛りにできる。何のことはない、関節技をかけているだけだから。コガネムシも蛇もカエルも金縛りにできる。それで牛にも挑戦してみた。モー嫌と鳴いたのでやめた。動物のことを語り出したら限がない。物語がたくさんあるのでこの辺で終わることにする。ちょっと追加すると、カウンセリングで、犬、猫、小鳥、ウサギを用いることがある。彼らは私の同労者である。私よりも早く人の心を開くことができる。人は人を警戒する。それは人から深く傷つけられた経験を持っているからである。

by maranatha | 2017-08-14 21:19 | 本の紹介
宗教問題

by maranatha