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村上 密 Blog

権威について 6

パウロは「人はみな。上に立つ権威に従うべきです。」(ローマ13:1)ペテロも「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。」(Ⅰペテロ2:13)と言っている。しかし、パウロは大祭司を批判している(使徒23:3)ペテロも「いっさい、イエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた」民の指導者たちに対して、「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒4:19、20)と反論している。権威に従えと教えている一方で権威に抵抗、反抗しているわけである。二人が権威に逆らったのは、神の意志に反すると判断したからである。彼らの毅然とした戦いを私たちは見習わなければならない。現代の教会において、牧師の権威の乱用が、しばしば問題化している。権威主義の牧師は服従を要求するが、要求の中に、神からの意志と思えない要求があった場合は、教会員は議論してよい。明らかに聖書に反する要求であったら、教会員は抵抗してよい。人はいかなる強制からも自由であるべきで、信仰と良心に従うべきである。神と自分との関係において決断を下す人と、政治的抑圧、経済的抑圧、社会的抑圧等の関係で決断を下す人がいる。縦の関係はぶれがないが、横の関係は常にぶれる。権威主義の教会で、教会員が問題を口に出せないのは、牧師に逆らう人=神に逆らう人という固定観念を打破できないからである。どれだけの牧師が神を説きながら、道から逸れてきたか。信仰と生活の物差しは、権威を振りかざす牧師ではなく聖書である。その聖書を、自分の都合の良いように並べ立てて説くのは、恣意的解釈である。聖書、聖書と強調しても聖書から大きく逸れている教会もある。クリスチャンは信仰から信仰に至るために、絶えざる聖書の学びと信仰の実践が必要である。自立した信仰こそ、どの時代でも、どのような環境であっても、喜びと確信をもって歩いて行ける鍵である。
by maranatha | 2018-03-23 21:33 | 権威
宗教問題

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