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村上 密 Blog

試練と備え 4

9ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

「祭壇を築いた」は、アブラハムの信仰を特徴づける言葉です。

「そのころ、主がアブラムに現われ、そして『あなたの子孫に、わたしはこの地を与える』と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。」(創世記12:7)

「彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。」(12:8)

「そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。」(13:4)

「そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。」(13:18)

10アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

11そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

聖書における2回の呼びかけは重要な呼びかけです。

他には、モーセ、モーセ。サムエル、サムエル、サウロ、サウロもあります。

「はい、ここにおります」はアブラハムの信仰の応答です。

18節には「あなたがわたしの声に聴き従った」とあります。

アダムはこれができないで、「恐れて隠れました。」(3:10)。

12御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

神は私たちの罪をあがなうために実にそのひとり子を惜しまずお与えになりました。

ここに私たちへの神の愛が明らかにされています。

ヨハネはこう言っています。

「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

パウロはこう言っています。

「私たちが罪人であったとき。キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:8)


# by maranatha | 2017-04-03 22:05 | 聖書

試練と備え 3

4三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

5それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは礼拝をして戻ってくると語っています。

ここで全焼のいけにえをささげることが礼拝であることがわかります。

神はご自身を信じる者たちへ礼拝を求めておられます。

礼拝は神を第一とする生き方です。

アブラハムの戻ってくるとのこの確信はどこから出てくるのでしょうか。

それはアブラハムが全能の神を信じているからです。

無から有を生み出す神を信じているからです。

不可能な状態の中でイサクをお与えになった神を信じているからです。

あなたが全能の神を信じるなら、あなたはアブラハムの子です。

アブラハムが祝福を受けたように、あなたも神の祝福を受けます。

6アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

7イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

8アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けます。

アブラハムは神が備えてくださると断言します。

これは、アブラハムの信仰です。

アブラハムはまだ神の備えをまだ見ていません。

しかし、備えを信じています。

「神が・・備えてくださる」と訳された部分は、「エローヒーム・イルエ」です。

神は、アブラハムの信仰に応じて、最善のことを備えてくださる方です。

神は人類の贖いのために、ご自身の御子をお遣わしくださいました。

神は御子を私たちのために惜しみなくささげて、贖い(身代わり)とされました。

御子はその御父に最後まで信頼を貫かれました。

それで、神はその御子に備えをされました。

それは死からのよみがえり、すなわち「復活」です。

神はこのことによって人類に救いと祝福を備えられました。


# by maranatha | 2017-04-03 22:05 | 聖書

試練と備え 5

13アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

14そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

アドナイ何々はいくつかあります。

アドナイ・イルエ(主は与えてくださる・創22:14)、

アドナイ・ロフェー(主はいやされる・出15:26)、

アドナイ・ニシ(主の御座の上の手・主は私の旗・出17:15)、

アドナイ・ムカデシュ(主は生別される・レビ20:8)、

アドナイ・シャロム(主は平和・士師6:24)、

アドナイ・ツィドゥケヌー(主は私たちの正義・エレ23:5)、

アドナイ・ローイー(主は私の羊飼い・詩篇23:1)、

アドナイ・シャマー(主はここにおられる・エゼ48:35)

詩編には、このすべてが歌いこまれていると言われています。

15それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、

16仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子をおしまなかったから、

17わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

「大いに祝福」には神の熱意が表れています。

ここにある「子孫」は単数です。

これはイスラエルの民を表すのではなくイエス・キリストを指しています。

イエスこそ、この子孫です。

私たちは、イエス・キリストと通して祝福に預かるのです。

祝福は救いと同意語です。

救いと言う言葉に置き換えても構わない言葉です。

18あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

19こうして、アブラハムは、若者たちのところに戻った。彼らは立って、いっしょにベエル・シェバに行った。アブラハムはベエル・シェバに住みついた。

聖書に次の言葉があります。

「主は主の御声に聞き従うことほど、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」

アブラハムが神のみ心にかなったことは明白です。

アブラハムは5節で若い者たちへ「あなたがたのところに戻ってくる」と約束しました。

そして、アブラハムは、約束の通りに戻ってきました。

これが、神を恐れ敬うアブラハムの信仰です。

私たちもアブラハムの子らしく、神の言葉に聞き従う生き方をしていきましょう。

試練の向こうを見る信仰を持ちましょう。

注 聞き手や通訳者や手話通訳者を考慮して、一文を短くしています。


# by maranatha | 2017-04-03 22:04 | 聖書

京阪中央教会とコプト正教会は同じ?

昨年、京阪中央教会はコプト正教会にカリスチャペル京阪奈教会堂を売却した。使用しなくなった建築物を、どこに売却するかは自由である。そのことを問題にする気持ちはない。開堂式において、村上好伸師が語られている祝辞は、問題発言である。前後は省くが「同じ神を信じ、同じ聖書を信じ、同じ福音に使える方たちに引き継がれることにほっとし、感謝し、うれしくてたまりません。」(1)「同じ神」、そうだろうか。「同じ聖書」、それは違う。「同じ福音」、彼らはマリア崇拝をしている。村上好伸師は以前からコプト正教会との交流があった。その上で「同じ神を信じ、同じ聖書を信じ、同じ福音に使える方たち」と思っているのであれば、京阪中央教会は、カリスマでもプロテスタントでもないことになる。祝辞のリップサービスにしてはとんでもない発言をしている。このような指導者を持つ教会員が気の毒である。「ほっとし、感謝し、うれしくてたまりません。」は30年使用した会堂が売却できたことを言っているのではないか。教会の財産処分には、「責任役員会において定数の3分の2以上の議決を経、総会において出席者の3分の2以上の議決を経て、その行為の少なくても1月前に教会員その他の利害関係人に対し、その行為の要旨を示してその旨を広告しなければならない。」(2)広告すべき事項は処分する物件、価格、相手先、処分の目的、処分の方法、年月日等である。京阪中央教会の教会員は、これを知っているだろうか。私は先に役員会の構成が民主的でないことをブログに書いた。民主的でないので、民主的な手続きが踏まれているかを疑っているのである。クリスチャントゥデイは、コプト正教会のホームページと間違われるほどに、お祝いに紙面を費やしている。かつて、これほどの紙面を一教会のために費やしたことがあっただろうか。私の批評は厳しいかもしれないが、これは垂れ流しの記事である。

引用
(1)http://www.christiantoday.co.jp/articles/21519/20160723/coptic-orthodox-church-sydney-kizugawa-kyoto.htm
(2)「宗教法人こんなときどうする Q&A110」(佐藤丈史 いのちのことば社)P43


# by maranatha | 2017-04-02 21:20 | カリスチャペル

京阪中央教会 異常な役員構成

岩崎隆昭さんと明子さんが京阪中央教会(通称カリスチャペル)を裁判に訴えた。平成28年(ワ)第9460号損害賠償請求事件、乙第6号証には、被告京阪中央教会より、裁判所に提出された証拠説明書が提出されている。これによると、昭和45年に「宗教法人『京阪中央教会』規則」が施行されている。その時の責任役員会は、代表役員村上好伸、責任役員4名、合計5名で構成されている。ところが、平成19年に規則変更が行われている。
代表役員 村上好伸
責任役員 村上民子
     〇〇〇〇
     村上勝利
     湖城 修
     村上愛信
     湖城〇〇

民主的な教会運営を心がけしている教会は、は三親等以内が3分の1を超えないようにしている。しかし、京阪中央教会は、村上家は7分の4で異常である。3分の1を十分に超えている。また、湖城家は2人とある。村上家と湖城家で7分の6である。村上家は常に過半数であり、役員会決議事項はいつもすんなり通る状態であり、3分の2以上の決議を必要とする事項も湖城家と組めば常に通ることになる。湖城修師は責任役員に2007年に就任し、2年後の2009年にカリスチャペル福岡に主任牧師として着任している。京阪中央教会の責任役員会には、役員会のたびごとに福岡から出席しているのであろうか。被告側の証拠説明書で明らかになったのは、京阪中央教会は民主的な教会運営はしていないということである。

# by maranatha | 2017-04-01 15:33 | カリスチャペル
宗教問題

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