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村上 密 Blog

祖父の思い出

祖父(母方)を思い出した。祖父の隠居宅は、母屋がある敷地ではなく別の敷地にあった。その間に、大きなイチジクの木があった。熟す頃、よく食べた。祖父の隠居宅には池があった。池の水は山から流れてくるきれいな水だ。タニシがいて、砂糖醤油で佃煮にして食べさせてくれた。何のツルか知らないが、そのツルの中の虫を串刺しにして囲炉裏端で焼いて食べさせてくれた。蜂の子も食べさせてくれた。ご飯も食べたはずなのに思い出すのは普段は食べないものばかりだ。背が高く、男ぶりのいい祖父だった。祖父の死の間際、おばたちが「おとっつあん」と涙声で呼びかけていた。
# by maranatha | 2025-06-16 21:09 | 故郷

監督責任

教団に属する牧師が問題を起こした。役員会が牧師の問題を正しくさばくことができるだろうか。長老制の運営のしっかりしている教会であれば、それもできるだろう。牧師の権威を強調する監督制の教会や権威主義の教会形成をしている教会では、どの教団に所属していようがいまいが無理な話である。権威主義の教会では、役員は牧師に問題があってもしっかり意見を言う人はいない。意見を言えるような人はすでに教会を去っているか追い出されている。あるいは、問題を扱おうとした時点で追い出され始める。

今まで、私は牧師の問題に取り組んできた。問題の相談が私の所に来ること自体が教会に自浄作用がないからであって、牧師の権威主義による深刻な精神的虐待であったり、経済的な搾取であったり、時には性的虐待の被害者であったりする。被害者の話を聞けば、いずれも役員会が機能していない。牧師を支えることを使命と思い込んで、間違った牧師を支えることも使命と勘違いしている。正しい牧師と支えるのは問題ないが、正しくない牧師を支えると、時には犯罪のほう助となることもある。そうでなくても、牧師の問題が裁判で明らかになった場合、牧師の辞任で済むわけではない。辞任するほどのことを支えたのだあるから、役員たちの辞任してしかるべきである。ところが、辞任も責任も感じないほど役員たちが厚かましく留まる場合がある。外科手術は腐った部分の切開が遅れると体全体に壊疽が広がる。

# by maranatha | 2025-06-14 11:59 | 教会

興味深いもの

第1サムエル記にはサウルとダビデの油注ぎがある。油注ぎは神の霊が注がれることを形式化したものである。王は油注がれて王位に就くことができる。神の霊の助けなしに王の働きをすることはできないことを示している。サウルは油注がれて預言を語った。ダビデは竪琴に癒す力をいただいた。サウルのために竪琴を引くことになったダビデは、サウルの近くで王のすべきいことを学んだといってよい。預言者の集団が楽器をもっていたことが記録されている。ダビデは礼拝改革を行ったとき、祭司たちが楽器を用いるようにした。しかも、礼拝を指導していく祭司のリーダーたちはレビ人で預言者であった。宗教はしばしば音楽と切っても切り離せない関係になる。

興味深いことは、竪琴が癒すのではなく、神の霊が注がれた後のダビデが竪琴を引くときに力が現れている。近年、音楽がヒーリングに用いられている。特にモーツアルトの音楽が用いられている。彼の曲が出す周波数に注目が注がれている。絵本の世界では、セロ弾きのゴーシュが有名だ。セロの響きが子ネズミを癒す絵本だ。昔その絵本を読んだとき、そんなことがあるのかな、と思っていた。今は楽器に効果があることがいろいろ証明されてきて一般化してきた。

小さな砂粒を鉄板の上にのせて、周波数を出す装置を小さな砂粒を乗せた鉄板につなげる。様々な周波数で砂粒が動き、模様を描き出す。なんと不思議なことだろう。モーツァルトの曲が出す周波数はどんな模様を描いてくれるのだろうか。

私が興味を惹かれるのは、木、草、花、光、波長、磁気、生体磁気、雲、雨、気流、波、周波数である。

# by maranatha | 2025-06-14 11:57 | 自然

被害者支援の経過

宗教における被害者の支援のために2005年から代理人になって取り組むことを始めた。被害者と共にどこへでも出かけて話し合った。あれから20年経った。最近はどうかと言うと、話し合いによる解決を優先してきたが、話し合いに応じないことが続いている。それで裁判にもっていかざるを得ない状態である。時間も経費もかさむのは被害者に不利である。相手は団体であったり、指導者であったりするので、資金はある。しかし、被害者は経済的な損害を受けているので、経費が嵩むのは不利益である。それを見越してなのかどうか、対応がのらりくらりと時間稼ぎが多くなった。裁判支援のために弁護士と協力して被害者の回復に努めるしかない。
# by maranatha | 2025-06-14 11:52 | 宗教トラブル相談

眺める

毎月、淡路島の家庭礼拝に参加している。ある時、少し時間があったので、違う道を通った。私は草や木、石を眺めるの好きで、この日も周囲を見回しながらゆっくり運転をしていた。すると、見たこともない青灰色の土を見つけた。一体、何だろうと思って、家庭礼拝の主催者に聞いてみた。何と、イグサを染める土だった。

随分昔の話であるが、鳥取に仕事で行ったとき、運転している道路からかなり離れた山の斜面に紫色の土が見えた。石川県の医王山に行ったとき、道路拡張で削られた山肌に一方は緑、一方はピンクだった。近くの水の流れるところには、緑の石がとても美しく輝いていた。後で医王石だとわかった。江戸時代は藩外へ持ち出しができなかった石だ。効能のある石である。

仕事柄、47都道府県のすべてで仕事をしてきた。家と仕事先との往復であるが、行った先々で草木や石を眺めながら散歩するのは楽しいひと時である。最近、近所を散歩しているときハゼランを見つけた。これは教会の庭にだけ咲いていた花で、鳥が運んだのだろうか。



# by maranatha | 2025-06-14 11:51 | 自然
宗教問題

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