2009年 05月 12日
偽使徒
キリスト「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。」(マタイ23:8-11)この聖句からわかるように、牧師に求められているのは、世俗的なリーダーシップではなく、「仕える」ことです。
ペテロは「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。(5:2-3)と教えています。強制的な人物、利得を追求する人物、独裁的な人物、それは、ペテロが教えている牧者像ではありません。
サウロはガマリエルの門下で将来ラビ(わが大いなる者)になることを目指していましたが、復活のキリストに出合い、やがて「パウロ」(小さい)になりました。パウロは「わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられた」(エペソ3:7-8)と言っています。この務め「福音の僕」は自己推薦やだれかの推薦ではなく、ましてや、何かの功績でもなく、ただ恵みです。ただ神から一方的に与えられる愛顧です。偽者は尊大で、独裁的で、横柄で、高ぶり、空虚な誇りをもち、うわべを飾る人です。
現代の「使徒」と自称する人は、しばしば牧師たちの上に位置するかのような言動です。「牧師」から「預言者」となり、「預言者」から「使徒」と自称が変化して行きます。「神から油そそがれて」「神の啓示を受け」と彼らが主張してもすぐに信じてはいけません。彼らの結ぶ実(強制、利得、独裁)を見て判断してください。本当に偽使徒が増えてきたからです。