2010年 04月 26日
大川従道論
大川師が日本のキリスト教会を代表する牧師と紹介されることへの反対理由は以下の通りである。
第1に、大川師はセカンドチャンスの信奉者である。正しい教理から逸れた人を選んだ人々の見識を私は疑う。どんな基準で彼を選んだのか。大きな教会と正しい教理を天秤にかけて、大きな教会を選んだのなら、日本プロテスタント史の汚点である。そんなことは世俗的な選択基準である。教会が立たなければならないのは正しい教理の上である。私はアッセンブリー教団総会の席上で、大川師がセカンドチャンスの信奉者であることを問題にした。このような人を聖霊派の代表として認めるような大会になぜ教団は参加するのかと反対した。
第2に、大川師はベニー・ヒンの支持者である。ベニー・ヒンの『聖霊さま、おはようございます! 』には教理的な間違いがいくつもある。アッセンブリー教団は出版社に抗議した。そして、教団はベニー・ヒンの著書の中にある教理的問題点を列挙した文書を教職に配布した。さらに、ベニー・ヒン大会への教団教職の参加自粛を通達した。しかし、個人の資格で参加する教職がいた。教団は筋を通すため後援等は一切しなかった。このような経緯がありながら、ベニー・ヒン支持者の大川師を聖霊派の代表と認めることは教団としてできないことである。また、べニー・ヒンは宗教ビジネスでひんしゅくを買っている人物でもある。二重に問題のある人物を支持する大川師を私は聖霊派の代表者としては認めない。よって、私は教団総会で教団が宣教150周年大会に参加することに反対した。そして、その大会に当然私は参加しなかった。
第3に、大川師はハレルヤ・コミュニティー・チャーチと親密な友好関係があった。HCCの被害者の相談を受けていた私としては、大川師が守秘義務を守らなかった事を被害者を通して問題にした。この件は裁判に大きな影響を与えた。また、ホームページでの対処の仕方は誠意がなかった。この件では大川師は終始逃げ腰であった。また、カルト化したHCCの榊山清志との親交、沖縄リバイバル教会の儀間氏との大教会主任牧師フォーラムでの親交等の理由により、私にはとても大川師を日本のキリスト教会を代表する牧師などと認めるわけには行かない。
以上のことは身近な人々には言ってきたことではあるが、日本のキリスト教会の今後の行く末にも関わることなので、より多く人々に知っていただくために記録することにした。終わったことをなぜ取り上げるのか、このようなことをまとめた記事を目にすることがないからである。今、キリスト教会は高い倫理性を失い、社会の尊敬を失いつつある。2009年は宣教150周年を祝う年ではなく、プロテスタントもカトリックも喪に服する年ではなかったかというのが私の所感である。大川師を私は知らないわけではない。まだ私が若い時、関東の若手の牧師たちとカルバリー・チャペルに押しかけ、学びの時を持ったことがある。その時、大川師は「異端の専門家」としての私をご存知であった。その私が3つの問題点を指摘した。改善を心掛けていただきたい。