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村上 密 Blog

明智光秀

 アッセンブリー京都教会は京都の観光地から外れています。しかし、何もないわけではありません。建物がないだけです。教会から徒歩10分、千本通と七条通の交差する所に京の七口の一つの丹波口がありました。ここから丹波街道(山陰街道)が始ります。これが現在の七条通です。歴史上、明智光秀は亀山城を立ち、老いの坂を越え、桂川を渡り、七条通を通って丹波口から本能寺をめがけて攻め入ったと言われています。その日は天正10年(1582)6月2日未明です。教会は花屋町通に面しています。七条は花屋町より一条下った通です。かつて、すぐ近くの道を明智軍が通り、歴史を変えたのでした。

 6月と言えば梅雨です。桂川は増水していたはずです。いろいろ調べても明智軍が橋を渡ったと言う記録がありません。おそらく当時の人は船を使って渡ったと思われます。明智軍は大勢が渡るために浮橋を作って渡ったのでしょうか。渡渉は無理だと思います。浮橋でも危険すぎます。気になって、当時の天気を調べてみました。5月27日は雨、28日は晴、29日は土砂降りの雨、(この年の30日はありません。)6月1日は激しい雨が夕方まで、これでは6月2日未明に桂川を渡渉することも、浮橋を作ることもできません。これが私の結論です。梅雨の2日続きの大雨の桂川、このような状況の桂川を見たことがありますが、浮橋さえ作れる状況ではありません。でも歴史では渡ったとあります。これは私にとって謎です。私は歴史上の記述でおかしいと思ったことは、問いとして心に留め置きます。


花屋町の由来

 時々私は歴史散歩をします。運動不足解消のためです。因みに「花屋町」は『京都坊目誌』に本願寺の近くに「花を売る店が多かった」とあります。これがこの通の由来です。五条、六条がなくて花屋町、七条と続きます。不思議に思い、京都に赴任した頃調べました。六条はないわけではなく、ちょっとだけ鴨川の近くにあります。花屋町の由来を聞いてもなかなか答えられる人はいません。
by maranatha | 2010-05-14 08:30
宗教問題