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村上 密 Blog

閲覧請求

 私は、ある教団に対して閲覧を請求した人の代理人をしたことがあります。その教団は9回も閲覧請求されたのに、すべて拒否しました。その中には弁護士を通したものも含まれます。あまりの対応に請求人は裁判に訴えました。その事実が教団の総会で明らかになり、賢明な教団監事の仲介で、<教団は閲覧請求に応じる。請求人は裁判を取り下げる>で決着しました。教職の中には「教団を相手に裁判をした」と非難したおかしな人物もいました。非難すべきは法に基づく閲覧請求を拒否した教団に対してでしょう。私は代理人ですから理事会議事録を閲覧しました。記述の内容への言及は控えますが、理事会議事録が大変不備でした。決議事項が明確でなく、メモ程度には驚きました。それで議事録の改善を申し入れしました。知りえた情報は「ある問題」を解決するために大変役立つものでした。しかし、「ある問題」を引き起こした人物は最後の手段と、教会員を錯誤に陥らせ教団離脱を謀りました。幸い目覚めた教会員26名が「総会決議無効確認請求事件」を裁判所に訴えています。もう一度教会総会を開いても、教会員の3分の1の賛成を得ることは出来ないので、教団離脱は出来ません。牧師と教会役員は26名を不当にも役員会で別帳会員に移し、正教会員の資格を奪いました。教団はすでにこの牧師の代表権を教団理事会決議で取り上げていますが、牧師は勝手に前述のように役員会を開き、総会を招集し、暴走を続けています。もし、26名が訴訟を起こさなければ、教団離脱は成功していたでしょう。今、この教団の統治能力が試されています。なぜなら、教会の代表権は暴走牧師から、非常時とのことで、理事の一人が理事会で選任されました。その理事が閲覧請求を拒みつづけた教団の担当者でした。もちろん教団理事会の決議の下での行為でしょう。この事情を知らない大部分の教団総会議員は、事も有ろうにこの理事を教団の理事長に選出しました。教団の代表者が教団離脱を謀った教会の現代表者になり、その教会の訴訟をどのようにして解決できるでしょうか。何も有効な手を打てなかった人が、どうして、より大きな問題を扱うことができるでしょうか。神は、善かつ忠実な僕に、より大きなことを任せられるのに、教団総会は小さな問題だった時に手をこまねいていて大きな問題にした人を、より大きな責任を担う教団理事長にしたのです。だれも「ある問題」で責任を取った人がいません。次に起きた問題で責任を取る人がいるのでしょうか。教会は、創立、発展、成長、成熟、衰退をたどります。あの使徒時代の教会でさえ現存する教会はありません。これが地域教会の現実です。福音は伝えられるが、教会は、時代と共に変化し、移動し、消滅します。変わらないのは、キリストと福音です。今、地域教会に依存する信仰形態ではなく、キリストと「私とあなた」の関係を強く持たなければならない時代が来ています。

 ある教会は、閲覧請求人と代理人の弁護士と私に対して、日時を打ち合わせて、対応してくれました。そこは役員構成数が規則と違う人数で、リーダー会が役員会扱いでした。こういう場合の決議は無効です。役員会も教会総会もずさんで、教会の収益事業が総会で報告されていませんでした。後日この教会は税務署に調べられました。牧師は収益事業から一銭ももらっていないと豪語していましたが、自分の高級車の支払いに、収益が使われていることが発覚しました。教会員は事実を知って離れた人、残った人に分かれました。残念なことに正しい教会運営を願っていた人が残らずに、今もこの教会は存続しています。

 私は長く宗教問題に取り組んでいます。閲覧請求と代理人は問題解決のために大変役に立っています。普段、牧師は問題を抱えた人に「お祈りしています。」と声をかけます。具体的な方法を知りたい人にとって、この対応は失望を与えるだけです。また、加害者と被害者の間で、「私は中立ですから。」と驚くような発言をする牧師もいます。被害者にとっては、二次被害です。問題解決のための手立てを必要としている被害者に対して中立はないでしょう。中立を言うなら、何もしない傍観者の方がまだましです。私は問題は充分内容を知ってから取り組み、具体的対応をアドバイスしています。。ただ、他人には何でも知りえた事を言えるわけではありません。野次馬は知りたがりですが、責任感がありません。憶測と断定で迷惑をばら蒔きます。被害者の回復を妨げるのは批評的な、懐疑的な問題提示するする人です。批判に曝されてきた被害者には、加害者とだぶって映ります。思いやりのない発言が、人の中にやっと入ろうとする被害者の思いを砕くのです。閲覧請求は情報を正確に知る一つの方法です。情報が大切です。代理人、それは情報を持った人を自分の法的問題解決のために協力者にすることです。弁護士なら報酬を支払わなければなりません。しかし、報酬なしで協力する友人や家族もいます。私もその一人です。物理的限界を乗り越えるため、知性を鍛えています。
by maranatha | 2010-05-21 22:14
宗教問題