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村上 密 Blog

弟子訓練

 弟子訓練は1980年代から流行しているキリスト教会のムーブメントです。これはキリストの弟子を養成するのが目的ですが、牧師の弟子を養成することと勘違いした牧師によって、万人祭司で平等であるべきキリスト教会内に、上下関係より悪質な支配関係が築かれるようになりました。このような教会の牧師に共通する言葉は「牧師が黒を白といったら白」「牧師がたとえ間違っても、牧師に従えば神が祝福してくださる」「焼いて食おうが、煮て食おうが牧師の勝手である」「十一献金を捧げない者は泥棒だ」と言う暴言です。虐待牧師によって次々と無理難題が弟子達に与えられ、自由と尊厳、睡眠と個人資産が奪われていきます。牧師の価値観が絶対であり、聖書の言葉は牧師の価値観や理念を権威付けするための補強材にすぎません。弟子は牧師の手足であり、頭脳ではありません。また弟子は牧師のビジョンの建設現場の奴隷であり、栄光は牧師のものです。
 弟子は伝道のために養成されるのではなく、牧師の身の回りの世話を強制させられます。牧師家庭の掃除、洗濯、雑用、小間使い、牧師子弟の無料家庭教師、牧師の送迎、鞄持ち、高級車の洗車、マッサージ、性欲の対象、感情の捌け口、これらはアメリカにおける奴隷制と類似しています。なぜなら支配と被支配は、自分を愛するように隣人を愛することができないからです。非人間化こそが奴隷制だからです。
 弟子訓練を導入したキリスト教会で、それも、弟子訓練のモデルと言われた教会で不祥事が続発していることは、牧師の個人的罪だけではありません。弟子訓練が問題を内包しています。弟子訓練が聖書から導き出されたものではなく、軍隊や企業の人材養成をキリスト教会用にモデルチェンジしたものにすぎないからです。明るく、元気で、従順なカルトカラーが要求されるだけで、弟子が御霊の実を結ぶことはできません。その教会は聖霊が働く教会ではなく、グループダイナミックスで動いている教会です。弟子訓練を愛好する牧師は自己愛が強く、権威を強調します。そして、権威構造を教会内に作り上げてしまいます。王のような立場に立った牧師は、自分の要求が通ると錯覚します。ここに罠があります。自分の要求を通すため、神の御心でないものを御心と強調し、自分を偶像化し、罪に陥ります。
 今、弟子訓練の導入によって自己肥大化した牧師が自滅し、裁きを受けています。裁判やインターネットによって暴露された事件は氷山の一角です。有名人扱いされた牧師と友人であるかように振舞った牧師は距離の取り方に困っています。ここは言い訳がましいことを言わずに、謙遜になり、堅実な教会形成に努めることです。仕えられるためではなく、仕えるための牧者となることです。
(2010.6.3掲載)

過去に掲載した弟子訓練に関する記事を再掲載したい。

by maranatha | 2014-06-09 20:45 | 弟子訓練
宗教問題