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村上 密 Blog

荒野の誘惑

 荒野の誘惑で最も印象的なのは「パンの誘惑」です。悪魔がイエスに「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」と語りかけます。悪魔はイエスが「神の子」であることを知っていますが「神の子なら」と言っています。石をパンにすることが「神の子」を証明することだと言いたいわけです。イエスはこの仮定と証明の誘惑を退けます。なぜ知っている悪魔に証明する必要があるでしょう。知っている悪魔は知っていることに相応しくイエスに対応すべきです。イエスは「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」と言って悪魔を退けます。ここでイエスは人が生きる為、神のことばの必要性を語られます。私たちはパンの有り余るなかで生きていますが、心の飢えはパンでは満たされないことを自らの生活の中で体験しています。パンも必要ですが、今こそ人にもっとも必要なのは神のことばだと思います。
 聖書はイエスを信じた人は神の子(複数)とされたと教えています。クリスチャンは神の子ですが、石をパンにすることはできません。ですから、悪魔が同じ誘惑をクリスチャンにしても誘惑にはなりません。むしろ、神のことばも大切だが、あなたに必要なのはパン(生活の糧)と言って、神のことばから離れた生活をするように惑わすとことこそ誘惑になります。できないことは誘惑になりません。できることが誘惑になります。できてもしてはならないことが誘惑です。できてもしてよいことは誘惑になりません。誘惑を受けない人はいません。だれもが誘惑と戦っています。誘惑を退ける秘訣、それは信仰と良心に従って生きることです。
 なぜ、誘惑をここで取り上げたのか、それは牧師が多くの誘惑にさらされて負けている情報が私のところに届くからです。それだけでなく牧師が誘惑をしている情報も届きます。人々が牧師を聖人か神の代理人、特別な人と思い込むとき、信じやすい、だまされやすい状態と思ってください。
by maranatha | 2010-09-02 06:55
宗教問題