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村上 密 Blog

啓示

  極端なペンテコステやカリスマの牧師は、聖書啓示より個人預言や夢、幻を重んじる傾向にあります。このような牧師のもとで育った信徒は、聖書を深く学ぶことよりも、個人預言や夢、幻に走ります。いつも、「神が○○と言われた。」「○○の夢を見た。」「○○の幻を見た。」といかにも神に近い生活を送っているようです。しかし、信仰生活や品性が向上しているわけではありません。預言は聖書に基づいて吟味されなければなりません。しかし、聖書は預言によって吟味される必要はありません。必要なのは適切な解釈です。聖書をあまり読んでいない信徒が個人預言に走って、どうやって聖書に基づいて吟味するのでしょう。自分の主観に基づく判断をするだけです。個人預言や夢が実現しなくても、反省もなく、啓示の話をし続けます。牧師がそうだから、信徒は注意されません。それで、教会全体が主観主義に陥り、「私」と言う主語が欠落した話が飛び交う所となります。人の話を聞くのではなく、自分の話をする人の集まりになります。そこにあるのは、いかに自分が霊的かと言う自己主張です。聖書の解釈を十分学んでいない牧師は、自分の解釈が一番正しいと思わせ、大きく聖書から逸脱していきます。そのような教会では恐ろしく聖書を知らない「霊的信徒」が育ちます。みことばの飢饉が、最も霊的だと思い込んでいる教会に来ています。
 さて、読者は2010年9月9日がどのような日か覚えておられますか。何事もなく過ぎました。携挙の日(キリストの再臨の日)だと主張した人はどのように弁明するのでしょうか。踊らされたクリスチャンは反省をするのでしょうか。人が知らないことを神が示してくださることを啓示と言います。神は偽ることのないお方です。ですから、預言が外れたら、神が示されたのではなく、個人が偽ったのです。                
by maranatha | 2010-09-11 07:38
宗教問題