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村上 密 Blog

庇う事は同罪

 異端を信じていることを伝道師が隠して、牧師に依頼して異端信奉者に洗礼を授けた場合、だれに責任があるのでしょうか。それは伝道師です。事実を知らされなっかた牧師に責任はありません。この件で人間関係を重視し伝道師を庇う人もいますが、これは異端容認伝道師を容認するわけですから、このこと事態がまた問題となります。穏便に済ませようとする人と上部機関が明確な処分と事実を公表しない限り、伝道師は身の潔白を回りに言いふらし、それを真に受ける人も起きるでしょう。問題を追及する人が問題視されるのは理不尽なことです。伝道師の問題は、その後も異端を信じる人が教会に増えたことで、教育的措置とは言えなくなっています。完全に異端容認です。

 その後、伝道師が牧師と結婚し、牧師が異端信奉者の洗礼を容認した伝道師を庇う場合、さらに牧会していた教会で異端信奉者が増えている事実を知りながらも庇う場合、さらに異端を信奉する団体と知っていながらそこに招かれて牧師が奉仕をする場合、牧師は異端を容認していると言えます。なぜなら、教会における重大な異端問題に対して、適切な対応をしていないからです。ましてや、現在牧会している教会の役員が、異端を問題ないを公言している場合、牧師は異端を容認していると言えます。牧師が「私は異端を容認していません。」と公言しても、何の真実味もない言葉です。行動は十分容認しています。

 異端を容認する伝道師や牧師が、所属している教団で何も処分されない場合、教団が異端を容認していることになります。犯罪者を庇う場合は、庇う人も犯罪に荷担したことになることと同じです。「自分は異端を信じていません。」と伝道師が何百回人に言おうとも、それを信じることができません。伝道師が容認している異端について、明確に「これは異端です。」と言ったことがありません。容認しているのです。
by maranatha | 2010-11-06 06:25
宗教問題

by maranatha