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村上 密 Blog

桜田門外ノ変

 安政7年(1860)3月3日の雪の降る朝、大老・井伊直弼は水戸・薩摩の浪士によって、江戸城桜田門外で刺殺されました。原因は、大老による安政の大獄などの弾圧政策です。この弾圧によって、吉田松蔭が安政6年(1859)10月27日に斬刑に処せられています。処刑後、彼は小塚原回向院の墓地に葬られましたが、文久3年(1863)、高杉晋作らによって世田谷の若林に改葬されました。ここから谷を挟んだ西側の豪徳寺には井伊直弼の墓があります。高杉晋作らが、3年前に豪徳寺に葬られた井伊直弼を強く意識して、この地に墓を設けたことが窺い知れます。明治15年(1882)には松蔭の墓の横に松蔭門下生らによって松蔭神社が創建されました。
 
 日本の将来を思って闘った2人は当時の傑物です。政治的思惑で、明治から大戦までは吉田松蔭が持ち上げられ、大戦後は井伊直弼が持ち上げられました。しかし、今二人は谷一重で向かい合い安らかに眠っています。
 
 映画『桜田門外ノ変』が上映中です。これは一種の仇討ものです。毎年12月にTVで『忠臣蔵』がありますが、これも仇討ものです。仇討が12月に起きた歴史的大事件と結び付くことがあるかどうか調べたことがありますが、私が思いつくのは真珠湾攻撃です。これは日本海軍による奇襲です。原因は、アメリカが中国大陸の利権で対立していた日本に対して「ABCD包囲網」で経済封鎖したからです。大戦後、アメリカは何事につけて「リメンバー・パールハーバー」を持ち出しました。日本はそれに対して具体的な反論はしません。しかし、抽象的に反論するため「忠臣蔵」があるのだと私は思っています。
by maranatha | 2010-12-11 21:38
宗教問題

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