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村上 密 Blog

アタナシオスさんへ

 アタナシオスさん(以下Aさん)が『数学的にありえない』(村上密blog)を読んで、『北風から』に論評を書いてくれました。わざわざメールで知らせてくれましたので、これは公表文に対する私からの反論です。

 悪魔は一人です。これに対してAさんには異論はないようです。Aさんは悪霊に対して「悪魔」「サタン」と呼んで祓魔式を行なっても間違いではない。なぜなら、悪霊は目的と手段において悪魔(=サタン)と一つだからと主張しておられます。キリストや使徒がそのような論理で「祓魔式」を教えたでしょうか。いつ始ったかわからない論理的根拠と過ち多い「キリスト教の二千年に渡る伝統」では根拠が薄弱です。

 Aさんが用いた「祓魔式」はカトリック用語です。プロテスタントではこのような儀式はしないので用いません。また、カトリックでは「悪魔」は複数です。(注1)伝統を重んじるのは、ご自身がプロテスタントの伝統的な教会に所属しておられるからでしょう。しかし、その教会には「祓魔式」はないはずです。プロテスタントは伝統に権威を置くのではなく、聖書に権威を置く団体です。「伝統」には、しばしば異教的なものが混入してきた歴史的な経緯があります。また、カトリックやプロテスタント共に霊的な存在(悪魔、悪霊)に取りつかれたと断定された人々に対して誤まった対応をしてきたことは周知の事実です。

 聖書から話が創作されていく傾向が、昔も今も神秘主義や体験主義のクリスチャンに多いので、私は努めて聖書を根拠にして書いたり話したりするようにしています。「伝統」とされていること(例えば十分の一)にも問題提起をblogでしています。伝統はクリスチャンをしばしば生活と思考の安住状態(思考停止)にします。もう一度聖書を基にして、当り前と思い込んでいること、思い込まされていること考えて見ましょうというのが私の提案です。

注1 『新約聖書』(フランシスコ会聖書研究所訳 中央出版社 )32ページを参照してくだ
さい。「二人の悪魔につかれた者」「悪魔ども」の記述があります。ただし、プロテスタン
トとカトリックの共同翻訳の聖書には「悪霊に取りつかれた者が二人」「悪霊ども」とな   っています。
by maranatha | 2010-12-24 16:26
宗教問題

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