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村上 密 Blog

クリスチャンの裁判

 クリスチャンが裁判を提起すると、周囲のクリスチャンは、「なぜ、クリスチャンが裁判を起こすの?」と批判します。原告の被害内容を十分知ろうともしないで、反射的に禁めようとします。裁判に反対する理由は、パウロがコリント人への手紙(Ⅰコリント6:1~8)で裁判を否定していると思っているからです。本当にパウロは裁判を否定しているのでしょうか。正しく判断するためには、結論が何を前提としているかを知る必要があります。

 まず、「殺してはならない。」(出エジプト20:13)は殺すことの全否定ではありません。なぜなら、「殺してはならない。」とモーセに十戒を与えられた同じ神が、モーセに「おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ。」(出エジプト32:27)とも命じられました。結論の「殺せ」の前提は、「偶像を造ってはならない。」(出エジプト20:4)の命令に逆らって金の子牛を造ったからです。同じように「殺せ」は姦淫、御名の冒涜、父母に従わないとき等にも当てはまります。

 次に、「上に立つ権威にしたがうべき」(ローマ13:1)を取り上げてみましょう。パウロはローマ帝国の機関を「上に立つ権威」としています。パウロが「ローマ人への手紙」を書いたとき、信仰の自由がまだありました。それで、従うように勧めています。しかし、ヨハネが「黙示録」を書いたときは、クリスチャンが迫害されている時代です。ヨハネはローマ帝国を黙示録13章で獣に譬え、その獣に権威を与えたのが「竜」(すなわちサタン)であると言っています。ここでローマに従ったら偶像礼拝(皇帝礼拝)に陥ります。「従え」は無条件ではありません。誤まった牧師の指導に服従する必要はありません。また、会社の上司の法律に抵触する命令に従う必要はありません。

 パウロが、全ての裁判を否定していると判断することは早計です。ここで取り上げられている訴訟事件は「ごく小さな事件」(Ⅰコリ6:2)です。詳訳聖書では「最下級の裁判で取り扱うような〔ささいな事柄を〕審理」と訳されています。それも、不正を働き何かをだまし取った加害者(クリスチャン)が被害者(クリスチャン)に対して裁判を提起しています。パウロは「盗む者、貪欲な者・・・略奪する者はみな、神の国を相続することができません」(Ⅰコリ6:10)と断罪しています。教会はこのような盗む者に対して、教会の内で裁くことさえできないでいます。そのことをパウロは怒っています。コリントの被害者(クリスチャン)は加害者(クリスチャン)に対して告訴しました(Ⅰコリ6:6)。例えば、被害額が3万円で裁判費用が30万円だったら告訴を勧めますか。私なら勧めません。パウロも勧めないでしょう。「なぜ、むしろ不正をも甘んじてうけないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」(Ⅰコリ6:7)の意味がお分りいただけたと思います。もし、あるクリスチャンが教会の土地と建物、多額の預貯金を裁判で取り上げようとしているのに、「裁判をしてはいけない。」とパウロが言うでしょうか。盗まれるままにしておくことは、泥棒に手を貸すことで、加害者をのさばらせえることになります。パウロが黙って見ていると思いますか。責め、戒め、聞かなかったら、教会から追放したことでしょう。
 
 最後に、結論が何を前提に下されているか、前後関係をしっかり読んで判断してください。牧師が聖書の一節を取り上げて、何度も強調するとき、取り上げた聖句の前後関係を見て下さい。その強調が文脈に合っているか判断してください。
by maranatha | 2011-03-04 10:08 | 裁判
宗教問題