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村上 密 Blog

苦い根

 最近、相談者から「苦い根」をよく聞くようになりました。へブル人への手紙に「苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように」と書いてあります。このことばは、聖書の中に一箇所だけです。どうして、一箇所なのに頻繁にクリスチャンが使うのでしょう。一節から教理はできません。ましてや、重要な教えもできないはずです。それなのにどうして使用頻度が高いのでしょう。バランスの面から言えば、控えるべきです。「苦い根」の中に、聖書が伝える以上の意味を加えていないでしょうか。
 「断ち切りの祈り」も最近相談者から聞きます。聖書にそのような祈りの勧めがあるわけではありません。このような祈りをする人は、ありとあらゆることを宣言して「断ち切る」と祈ります。このように祈っている人の中には、イエス・キリストがすでに十字架で赦してくださったものまで、まだ赦されてないかのごとくに祈っています。例えば、先祖の因縁を断ち切るという祈りです。自分の祈りで切れるものなら、十字架はいりません。これはすでにキリストが十字架で赦してくださったものです。私がこのような断ち切りの祈りを心配するのは、十字架の罪の赦しの一回性、完全性、永遠性が部分的に否定されているように感じるからです。罪は悔い改めによって赦されます。それが聖書の教えです。しかし、罪との決別が「赦してください」という悔い改めから「○○を断ち切ります。」に変更されています。何度かこのような祈りを聞いたことがありますが、勇ましく、何度も宣言して、祈りの昂揚感に浸っているように見えます。私にはこのような祈りをすることができません。キリスト教の祈りに思えないからです。
by maranatha | 2011-11-03 07:39
宗教問題

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