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村上 密 Blog

権威について 21

「イエスは12弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。」(マタイ10:1)ルカは9章1節で同じように権威について書き、10章では、70人の弟子にも同様の権威が与えられれている。このような宣教に伴う権威は個人に与えられたと考えるより、教会に与えられたと考えるべきである。なぜなら、エペソ人への手紙に「すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次の来る世においてもとなえられる、すべての上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(1:21~23)教会は与えられた権威に目覚める時、力を発揮する。
 
カルト化した教会においては、霊の戦いが盛んで、悪霊の追い出しを日常的にしている。このような教会に、なぜ、情緒不安定やこころの病に罹るクリスチャンが多いか。悪霊に対する不安が高じているからである。神の主権とキリストがお与えになった権威を見失っているからである。このような教会には、権威による真の解放はなく混乱が引き起こされている。どんな問題も悪霊を原因にするからである。特に、精神的な病を治すために、悪霊追い出しをするため、病状が悪化している。権威に目覚めたのであれば、このような混乱はない。カルト化した教会にはキリストによる平和が教会になく、満たすところではなく、奪うところになっている。金銭の搾取、性的搾取、自由の搾取、権利の搾取、あらゆる搾取が行われ、恐れが支配している。これはキリストの教会ではなく、キリスト教を装った集団である。
 
『使徒の働き』における教会形成は、与えられた権威を用いて前進する教会を記録している。私たちの教会形成のモデルは、この世の企業や軍隊、他の宗教ではない。聖書から逸れて教会形成はできない。新約聖書の中にある手紙は異端への警告と誤りを正そうとする教えで満ちている。教会の歴史は、絶えず誤りと戦ってきた歴史である。聖書がなかったら教会は歴史の中で消えていた。聖書は教会のいのちであり、権威のよりどころである。教会に与えられた権威は、聖書の教えと教えに基づく実践の中にある。

by maranatha | 2018-03-23 22:50 | 権威
宗教問題