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村上 密 Blog

権威主義の牧師の主張の誤り

 「私が、主に逆らって、主に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対できないことだ。彼は主に油注がれている方だから。」(Ⅰサムエル24:6)この聖句は、権威主義の牧師やカルト化した教会の牧師が、自分たちへの非難や攻撃、あるいは裁判の提起を回避するために良く引用する聖句です。。彼らは「油注がれたものに手をかけてはいけない。」といって、自分をサウルの立場に置き換えています。サウルこそ油注がれたダビデを何度も殺そうとした張本人です。サウルは、ぺリシテとの戦いで戦死します。だから、牧師は飛躍して、「人は油注がれた者をさばいてはいけない。神がさばかれるから、放っておきなさい。」と主張します。「手を下す」とは殺すことです。だれも牧師を殺そうなどとは思っていません。問題を起こした権威主義の牧師に反省と謝罪を求めているだけです。しかし牧師は、それを回避するために聖句を悪用します。サウルは「あなたは私より正しい。あなたは私に良くしてくれたのに、私はあなたに悪いしうちをした。」(Ⅰサムエル24:18)といって反省しますが、この聖句を用いる牧師は反省をしません。自分の都合のために使うからです。牧師を裁くことのできるのは神だけであると信じ込まされている人は、聖句によって服従を要求されているだけです。裁くのは神だけでしょうか、サムエルは神の裁きの宣告をⅠサムエル28章15節から19節で告げています。神の教えに従わないならば、神に従う人によって裁かれます。教会の中で民事や刑事問題が起きたとき、その問題を解決するのは牧師だけではありません。役員会があります。役員会が牧師に牛耳られていたら、総会で取り扱うことはできません。総会は、牧師の招集が必要だからです。程度によりますが、裁判を通して問題を扱うしか道がありません。もちろん仲介者を入れて和解の道もあります。聖書には悪い王を正すために、預言者が登場してきます。神以外に、神の呼びかけで、王をさばく人物が実際に出てきます。神にしか、さばくことはできないとは嘘です。旧約には、「あなたの部族ごとに、さばきつかさと、つかさたちを任命しなければならない。彼らは正しいさばきをもって民をさばかなければならない。」(申命記16:18)と書いてあります。新約にも教会での罪の解決方法(マタイ18:15~20)があります。
by maranatha | 2012-03-23 08:01 | 権威
宗教問題