2012年 05月 12日
声を上げる
アパルトヘイトが南アフリカで長く続いたのは、教会がその支持者であったことが原因のひとつです。自分を愛するようにあなたがたの隣人を愛しなさい。教会は、この聖句に段階を設けて、隣人愛の勧めを、差別を助長する言葉として利用しました。それは聖書の教えではなく、イデオロギーです。教会は神の言葉で行動を正当化すると、それに反対する人に対して不信仰のレッテルを貼ります。そう思われたくないので、信者は教会の教えの中に自分を置きます。問題を正そうとする人はおかしな人ととして、悪くすれば追放されます。それは間違った教会からであり、神からではありません。神と教会が必ずしも一致しているわけではありません。時には自分で吟味し、信仰と確信に基づいて、声を上げる必要があります。自分の良心と信仰を偽って、組織や権威にへつらうのは、精神の堕落です。時代が経たないと分からない間違った教えもあります。教会による魔女狩りもそうです。今日の悪魔祓いや悪霊払いは、リベラルな陣営からはおかしなことをしていると映っています。なぜなら、悪魔や悪霊の実在を信じないからです。福音派やカリスマ・ペンテコステ派、カトリックは悪魔や悪霊の存在を信じていますから、悪魔祓いと悪霊払いを実践するところもあります。カトリックでは慎重にエクソシストを養成しています。しかし、福音派やカリスマ・ペンテコステ派には混乱が生じています。深刻なのはカルト化教会です。病気も貧困も、その他不都合なことは全て、悪魔や悪霊の所為にします。どれだけの信者が悪魔や悪霊に憑かれていると断定されたことでしょう。悪魔や悪霊を追い出している場面は、集団ヒステリー現象です。始めは懐疑的な人でも、追放したような現象が起きると、確信へと考え方が移っていきます。人間は教え込まれた恐怖に反応するのはものです。民族によって恐怖の対象が違うのはその良い例証です。自分に悪霊がついていると思い込んだ人、思い込まされた人は、聞いている教えに反応し、現象を演じることがあります。確信がないために誘導されるからです。見えない悪霊を見たと言う牧師を霊的だと信じ込み、追従するのは未熟の証明です。見えないものを見えると言うのは嘘です。見えると言っているのはその人のイメージです。霊的権威を装うための言葉に惑わされてはいけません。ましてや、神の御住まいとなったクリスチャンの中から悪魔や悪霊を追い出すことは、神と悪魔や悪霊が同居するなどないのですから、神学的に間違いです。間違いを正す言葉より、間違いを広める本が多く出回っています。惑わされないようにしてください。
by maranatha
| 2012-05-12 08:04