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村上 密 Blog

オリンピック

 パウロは、競技者が自制し、きびしい練習に耐える姿を、キリスト者の信仰生活になぞらえています。(Ⅰコリント9:24~27、ピリピ3:8~14)競技者が自制するのは朽ちる冠(月桂冠)を受けるためですが、信仰者は朽ちない冠を受けるためです。
 古代にあったオリンピックで、現在もある競技は徒競争(マラソンを含む)、ボクシング、レスリング、円盤投げ、やり投げです。現在ないのは、四輪馬車レース、競馬です。どれも考えてみれば、戦争に役立つ競技に見えてきます。皮肉なことに、キリスト教がローマの国教になることで、オリンピックは止みます。それはオリンピックが異教の神々に捧げるものだったからです。現在は平和の祭典として民族と信仰を問わずに行われています。
by maranatha | 2012-08-10 16:33
宗教問題