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村上 密 Blog

神格化

 宗教は、カリスマ的支配か集団指導体制か、どちらかで成り立っている。新しい宗教は、カリスマ的な指導者による布教によって、組織が大きくなる。歴史ある宗教もカリスマ的な指導者の登場で組織拡大がなされる。集団指導体制は、カリスマ亡き後の官僚体制で、カリスマは二代は続かない。それは宗教だけではなく政界、経済界、どの世界でも言えることである。宗教の恐ろしさは、指導者を神格化することである。指導者(単数)は、生きながら自らを神格化することによって、トップダウンによる指導体制を強化する。これは、組織が小さくても、よく見られる現象である。後継者に統治能力がさほどない場合は、亡きカリスマ的指導者を神格化し、機会あるごとに彼の言葉を引用して、継承者としての認知度を高める。カリスマ的指導者亡き後、後継者たちの間で分裂や対立があると、信者は減少する。我こそは、真の後継者である。このような言葉を後継者が語る場合は、先の指導者が後継者を決める事が出来なかった証明である。指導者の最重要課題は、後継者養成である。それを怠った宗教に未来はない。
 キリスト教は人間を神格化しない。ところが、「啓示」を強調する人物が登場すると、クリスチャンでも惑わされる。その人物を神に近い人物と錯覚するからである。偽預言者、偽教師は、この錯覚を利用して、謀を巡らす。それは、個人崇拝に導くことである。カルト化教会には、しばしば個人崇拝が見られる。牧師を神のように思っていた。従っていたら間違いない。そこにあるのは、繁栄と力への希求、信仰と言い換えられた依頼心である。キリスト教にあってはならないのは神格化である。近年、カリスマ的人物たちの堕落が報道された。彼らは繁栄と権威の信奉者にすぎない。神を求めたのではない、神を利用したのだ。神を伝えたのではなく、自分の名前と自分の考えを世間にひろめただけだ。
by maranatha | 2013-01-09 10:40
宗教問題

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