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村上 密 Blog

権威の誤用

 「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」(ローマ13:1)権威の誤用は、この聖句をどのように解釈するかにかかっている。

 ペテロは、最高議会の命令を拒否している。最高議会は「いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」(使徒4:18)と命じたが、ペテロは「神に従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分が見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒4:19、20)このように命令を拒否している。

 ヨハネは、黙示録の13章において「権威」を4回使用している。この権威は神からのものではなく、竜からのものである。ローマの迫害下にあった当時の教会は、ローマの政治的権威に無条件で従ったわけではない。皇帝礼拝を拒否したことはよく知られている。

 パウロは、裁判の中で大祭司に反論している。大祭司がパウロの口を打てと命じたからである。パウロは打たれる理由がない。確かに「あなたの民の指導者を悪く言ってはならない。」(使徒23:5)。しかし、それは無条件ではない。民の指導者は、民の構成員らしく民に振舞うときのみ、尊敬を受けることができる。ミドラシュ(ラビの聖書注解書)を引用して反論しているわけである。

 権威主義の牧師やカルト化教会の牧師は、牧師の権威を振りかざす。「私は神に立てられた牧師である。」「神の代理人である。」これは権威の誤用である。彼らはローマ書13章1節を用いて、無条件の服従を教会員に要求する。しかし、無条件に従う必要はない。彼らが神に従っていないからである。彼らは次の聖書の言葉に従っているだろうか。「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」(マルコ10:44)「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」(Ⅰペテロ5:2、3)これを守っているならその牧師は尊敬に価する。しかし、聖書が示す牧師像にいかに遠いことか。権威に従うことを無条件と誤解すると悲劇が起きる。時には、ペテロのように、ヨハネのように、パウロのように、抵抗することもクリスチャンの選択のひとつである。
by maranatha | 2013-01-18 12:48 | 権威
宗教問題

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