2013年 01月 30日
証言
証言を依頼されて、それを断る人の心境はどのようなものだろうか。ヨハネの福音書9章には、盲人の息子をだれが癒したのか、証言を断る両親が出てくる。ユダヤ人の会堂から追放されたくないために、両親は保身に走った。ある裁判で証言を依頼された人々がいたが、証言を断った。加害者に不利な証言をしたら安心して暮らせないからである。神の前に生きることよりも、安心して暮らすことを選択したのである。教会のカルト化の中で被害者が生じている。しかし、被害者のために証言してくれる人がどれだけいるだろうか。恐怖と不利益が証言を阻んでいる。不利な状況の中で、被害者はなぜ戦うのか。それは真実を知ってほしいからである。被害者がこれ以上でないようにしたいからである。証言できるのに証言しない人は、被害者にとっては真実を証言しない冷たい傍観者である。なぜなら、助けることができるのに助けないからである。時と場合によっては加害者よりも被害者を傷つけることがある。クリスチャンはキリストの証人、真実の証人であって欲しい。
by maranatha
| 2013-01-30 18:03