2013年 03月 05日
悔い改めと赦し
「ペテロがみもとに来て言った『主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18:21、22)これを読むと、徹底的に赦すのがイエスの教え、それが真理と思うだろう。しかし、この後に続くイエスの譬え話は、謝罪して猶予を求めている人を赦さない人を戒めている。無条件の赦しがイエスの教えではない。
「気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」(ルカ17:3、4)ルカはイエスの言葉から、赦しが条件付きであることを教えている。それも、「悔い改めます。」と言って、被害を与えている人のところに来るならと言い添えている。
マタイはユダヤ人に福音を書いている。赦しが条件付きと書かなくても、読み手は理解してくれる。それでも譬え話で説明している。ユダヤ人は律法を知っているから、悔い改めてもいない人を赦すことはない。律法には償いもしっかり書いてある。ルカはギリシャ人に福音を書いているので、悔い改めと赦しの関係をしっかり書いている。読み手は誤解しないはずだ。しかし、なぜかカルト化した教会では赦しが無条件になっている。赦さない人は裁かれる。裁いてはいけないと言っているのに、赦さない人を裁いている。
何でも赦さないといけないと信じている人は、正しいと信じているのであって、本当は正しくはない。悔い改めた人を赦すことが、聖書の正しい教え(真理)である。このような区別をしない教会では、何事も赦しなさいの押し付けが横行し、被害者が誤った「聖書の教え」で二重三重に被害を受けている。この現状を打破するためには、正しい聖書の理解が必要である。
「気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」(ルカ17:3、4)ルカはイエスの言葉から、赦しが条件付きであることを教えている。それも、「悔い改めます。」と言って、被害を与えている人のところに来るならと言い添えている。
マタイはユダヤ人に福音を書いている。赦しが条件付きと書かなくても、読み手は理解してくれる。それでも譬え話で説明している。ユダヤ人は律法を知っているから、悔い改めてもいない人を赦すことはない。律法には償いもしっかり書いてある。ルカはギリシャ人に福音を書いているので、悔い改めと赦しの関係をしっかり書いている。読み手は誤解しないはずだ。しかし、なぜかカルト化した教会では赦しが無条件になっている。赦さない人は裁かれる。裁いてはいけないと言っているのに、赦さない人を裁いている。
何でも赦さないといけないと信じている人は、正しいと信じているのであって、本当は正しくはない。悔い改めた人を赦すことが、聖書の正しい教え(真理)である。このような区別をしない教会では、何事も赦しなさいの押し付けが横行し、被害者が誤った「聖書の教え」で二重三重に被害を受けている。この現状を打破するためには、正しい聖書の理解が必要である。
by maranatha
| 2013-03-05 21:23
| 赦し