人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

村上 密 Blog

証言

大祭司の庭で
 3月24日から受難週である。鶏が鳴くまでにペテロがイエスを三度否む箇所は説教によく取り上げられる。イエスや弟子たちが共にいたゲッセマネの園で、大祭司のしもべにナイフで切りつけたペテロも、大祭司の庭でひとりの時は全く人が違った。いのち惜しさに、イエスの予告通り、三度否んだペテロは激しく泣いた。

カルト化教会の中で
 クリスチャンはイエスの証人であり、真実の証人であらねばならない。たとえ、真実の証言が、自分の不利益を招くとしても、不正の黙認者であってはならない。教会のカルト化は、牧師の虐待が知られても、黙認されたことにより被害が拡大した。私的な場面では、牧師の問題を語っても、それを追求しない。被害者救済に行動を起こさない。黙認と容認の中で、被害者は多くなり、やがて自分の番がやって来て、耐えがたい苦痛を覚え、教会から去る。そこには問題から避けるだけで、解決はしない。あるのは教会に残された人が被害に会い続けることである。残った人が被害を自覚するかしないかは程度の問題である。

証言の力
 証言は事実を語ることである。そこに恐れが生じるのは、自分の立場や利害が絡むからである。保身に走っては、真実から遠ざかることになる。教会のカルト化対策は、事実証言、真実の証言である。これ以上に効果的な対策はない。虐待牧師を個人的に追及しても、虐待されるだけである。第三者も交え、問題を糺し、拒絶されたら、虐待を裁いてくれる機関(公的機関や宗教団体の上部組織)に訴え、証言することである。問題は宗教内部での告発は、加害者有利に運ばれる。「赦しなさい。」を連呼するだけの無能な指導者が多すぎる。
この場合は公的機関に訴え、証言するしかない。或いは、問題解決のために代理人となって交渉してくれる人を見つけることである。証言が事実であり、真実であるなら、虐待牧師がどんなに力があっても、その立場を追われる。それが証言の力である。ここに希望がある。闇は光に打ち勝たなかった。もし宗教団体がまだ自浄作用があるなら、カルト化教会は糺され、虐待牧師はその団体に留まっておくことはできなくなる。
by maranatha | 2013-03-23 22:51
宗教問題

by maranatha