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村上 密 Blog

繁栄の神学

 繁栄の神学が、「ペンテコステ」、「カリスマ」、「第三の波」に浸透して久しい。この三つのグループを含む名称を「聖霊派」と言う。この「聖霊派」に属する主だった人々の神学的共通項が「繁栄の神学」であるとは悲しいことである。。それは「聖霊派」と言う名称に対する皮肉である。最も世俗的な神学の信奉者が、最も聖い「聖霊」の名称を冠するからだ。むしろ「繁栄派」がふさわしい。どれだけの信奉者が問題を起こせば、この「繁栄派」は間違いに気づくのだろうか。神を求めているのではなく、繁栄を求めているのだから、、金銭にまつわる問題がいつも起きる。聖書には、神とマモン(富への執着の擬人化表現)に仕えることはできない、と教えている。しかし、「繁栄派」の人々は器用に神に仕えているように振舞う。自分たちは神が望んでおられる教え(Ⅲヨハネ2)の実践者と紹介するからだ。彼らは、富だけだけではなく、「力」の信奉者でもある。神にパワー求めているのに、パワーハラスメントを繰り返す。これを信仰的虐待とも言う。その虐待は、精神、経済、身体、性に及ぶ。聖なる力ではなく、実に人間臭い力の結末である。なぜ、問題が絶えないか。それは神に仕えているのではなく、マモンに仕えているからである。私の属する教団にも繁栄の神学の信奉者が多い。よって私は少数者に属する。私が超教派の集まりに参加しないのは、繁栄の神学の信奉者の「説教」「講演」「セミナー」を交通費を払って聞く必要を覚えないからである。現代で用いられる講師は、誤った神学の信奉者が多い。私は彼らを批判する。彼らもサークルを形成しているので私を批判する。声が多いから正しいのではない。
by maranatha | 2013-04-30 21:35 | 繁栄の神学
宗教問題