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村上 密 Blog

繁栄の神学の終焉

 繁栄の神学の提唱者であるチョー・ヨンギが、継承者と見做されていたコン・ヒーと同様に、起訴された。しかし、今後も繁栄の神学を信奉する牧師の不祥事は絶えないだろう。繁栄の神学の信奉者は、人物の問題であるとして、神学の問題として認めようとしない。繁栄の神学は、教会にとっておいしいのではなく、牧師にとっておいしいのである。止められないスイーツと同じである。教会に集まった資金を私物化する旨みを、彼らは経験的に味わった。砂糖に集る蟻の行軍を止めても、蟻は何度でも砂糖に集りに来る。今後、起訴される牧師が出ても行軍は止まない。これはペテロが指摘している、不義のもうけを好んだバラムが歩いた道である。
 繁栄の神学を信奉する牧師が、世界のアッセンブリーズ・オブ・ゴッドには多い、との指摘をよく受ける。否定はできない。その通りである。しかし、私のように反対の声を上げ続けている者も少数いる。福音派やペンテコステ派のどの教団にも繁栄の神学は浸透している。そして、排除できないほどに、はびこっている。排除したら、そうでない人まで巻き込んでしまい兼ねない。排除ではなく、糺し、改善していく道を選ばざるを得ない。しかし、それが可能だろうか。どの教団でも、ある程度大きくなっている教会の牧師を、理事長や理事に選出している。その牧師たちが教会成長研修所等で繁栄の神学の方法論を学び、その影響下にあることは明白である。指導者が影響を受けていて、糺していけるだろうか。心ある人々の改革の機運を待つしかない。もし、人が動かなければ、繁栄の神学の終焉と共に私たちの終焉を迎えることになる。エゼキエル書の「血の責任」を問われるのだ。
by maranatha | 2013-06-13 08:53 | 繁栄の神学
宗教問題