2013年 06月 13日
繁栄の神学の終焉
繁栄の神学を信奉する牧師が、世界のアッセンブリーズ・オブ・ゴッドには多い、との指摘をよく受ける。否定はできない。その通りである。しかし、私のように反対の声を上げ続けている者も少数いる。福音派やペンテコステ派のどの教団にも繁栄の神学は浸透している。そして、排除できないほどに、はびこっている。排除したら、そうでない人まで巻き込んでしまい兼ねない。排除ではなく、糺し、改善していく道を選ばざるを得ない。しかし、それが可能だろうか。どの教団でも、ある程度大きくなっている教会の牧師を、理事長や理事に選出している。その牧師たちが教会成長研修所等で繁栄の神学の方法論を学び、その影響下にあることは明白である。指導者が影響を受けていて、糺していけるだろうか。心ある人々の改革の機運を待つしかない。もし、人が動かなければ、繁栄の神学の終焉と共に私たちの終焉を迎えることになる。エゼキエル書の「血の責任」を問われるのだ。
