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村上 密 Blog

チョー・ヨンギとベニー・ヒン

 神輿がチョー・ヨンギとベニー・ヒンで、担ぎ手が大川従道牧師と村上好伸牧師の時代は終わった。チョー・ヨンギの起訴とベニー・ヒンが離婚話が進んでいた妻と結婚式を挙げたことで、神輿と担ぎ手に対する失望が増している。ベニー・ヒンを日本に招く人は、もはやいないだろう。チョー・ヨンギを日本に招く人は、まだいるかもしれない。神輿や担ぎ手が変わっても、変わらないものは、人々の聖会(大会)志向である。
 パウロは手紙で「終わりの日には困難な時代がやってくることを承知しておきなさい」(Ⅱテモテ3:1)と警告し、「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々と教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(Ⅱテモテ4:3、4)と書いている。今の時代に当てはまるのではないだろうか。パウロはここで担ぎ手の問題を指摘している。「健全な教えに耳を貸そうとしない」「自分のつごうの良いこと」「気ままな願い」「次々と教師たちを自分たちのために寄せ集め」「真理から耳をそむけ」「空想話にそれて行く」ここにあるのは自己中心な姿である。「耳を貸そうとしない」「耳をそむけ」「自分の」「自分たちの」「耳」を繰り返し、「自分」を繰り返して、自己中心を強調している。これは神に背く生き方だ。
by maranatha | 2013-06-14 10:36 | チョー・ヨンギ
宗教問題