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村上 密 Blog

さばいてはいけない 


  「さばいてはいけない」(マタイ7:1)は、カルト化教会でよく使われる聖句である。この言葉は、聖書が伝えたい内容をしっかり知るまでは、カルト化教会を脱会しても痛みを伴う。これは人のあら捜しを戒める言葉である。兄弟(信仰者の同胞)の目のちりを取り除く親切を申し出ていながら、自分の目の梁(誤った判断力)を取り除かないことは、偽善的である。
 カルト化教会では、さばきそのものが否定される。それは、やがて牧師がさばかれないための布石である。その割には、牧師はよく人をさばく。イエス・キリスト、預言者たちは、人の偽善や不信仰をさばいた。キリストの倣う者がキリスト者であるなら、さばきを否定することこそ、寛容を装った偽善である。さばく人に必要なのは、正義、公平、憐れみである。うわさに基づいた批判ではなく、事実に基づいた批判でなければ、目の梁を取らないでさばくことになる。
 カルト化教会で傷つけられたクリスチャンが、さらに傷つけられるのは、傷を癒そうとして、他の教会を訪れる時である。牧師に事情を話して、以前の教会を「さばいてはいけない」と忠告されると、ここでも同じことを言っている、という思いが湧いてくる。この時、傷つけられた人は、なぜ、あなたはカルト化を防ごうとしないで、カルト化教会を庇うのか、それではあなたはカルト化の加担者か、と受け取ってしまう。
 牧師が、被害者に寄り添わないで、第三者として諭すことは、公平を装った偽善と取られる。カルト化教会の被害者は、回復のための教会を捜している。牧師は耳を傾け、自分の判断をしばらく控え、心の痛みに耳を傾け続けていただきたい。性急な対応は、心に壁を作らせるだけである。
by maranatha | 2013-09-03 15:18
宗教問題