人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

村上 密 Blog

自分を捨て、自分の十字架を負い

 「自分を捨て、自分の十字架を負い、そして、わたしについて来なさい。」(マルコ8:34)の「自分を捨て」「自分の十字架」とはどんな意味ですか、と質問があった。ここは弟子についての教えである。「自分を捨て」は、自己否定であり、自己嫌悪ではない。欲深い、自己を否定することである。「自分の十字架」とは、誰かが自分に課す重荷ではなく、自分が他者のために、自発的に取り組む救いに関係する行為である。例えば、パウロは福音のために、己が誇りとしていたものを捨て、福音のために、迫害を物ともせず生涯を全うした。この生き方が、自分を捨て、自分の十字架を負いである。イエスは、弟子に対して、甘い将来像を約束していない。イエスは、弟子の心得を、引き続き35節から38節で教えている。
 私ごとであるが、「仕事大変ですね。」と尋ねられた時、「いいえ。」と応えている。「何故ですか。」との質問に、「イエス・キリストは、『わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い』(マタイ11:30)と語られた。もし、私が重荷を負っていたら、それは自分が背負い込んだ荷であって、イエスのお与えになった荷ではない。私が背負っている荷が軽いのはイエスに委ねられた荷だからである。」と応えている。私は「自分の十字架」が何かを知っている。それは、異端、カルト、カルト化した教会に捕われ、虐げられている人々を解放することである。キリストに導くことである。
by maranatha | 2013-10-15 18:51
宗教問題

by maranatha