2013年 11月 26日
合法性を装う
アハブ王は、宮殿のそばにあったナボテのぶどう畑を、自分の野菜畑にしたかった。王はナボテに対して、正当な取引を申し出たつもりだった。しかし、ナボテは、ナボテ自身の正当な理由で断った。「先祖のゆずりの地をあなたには譲れません」王は「不きげんになり、激しく怒りながら、自分の家にはいった。・・・彼は寝台に横になり、顔をそむけて食事もしようとはしなかった」(1列王記 21:4)王の要求を拒む人がいる。王はそのようなことに慣れていなかった。思い通りにならないので、不きげんになり、怒った。これは、独裁者の特徴である。妃イゼベルは事情を聴き、自分の思いつきを実行に移すことにした。それは、裁判を悪用する方法である。不当だが合法と人々に思わせることができる。
1、アハブの名で手紙を書く。
2、アハブの印で封印する。
3、長老たちに不当な裁判を指示する。
4、2人の偽りの証人を立てる。
5、冒瀆罪で死刑になるようにする。
6、真実を知らない人々を謀殺に巻き込む。
アハブ王は、イスラエル史上最悪の王である。妃も最悪の悪女である。ナボテの死は、神の裁きを招く結果となった。彼らの暴走を止める役割を果たしたのである。生きて、彼らに、諫言できる者は、預言者エリヤしかいなかった。そのエリヤでさえ、イゼベルの脅しに逃げたことがあった。
合法的に、土地を奪う者、教団から離脱する者、金銭を奪う者、女性と関係を結ぶ者。もし、牧師がこのようなことをすれば、キリスト教の倫理観からして、解任に値する。しかし、単立教会であるため、或いは、教団が弱腰であるため、処分を免れる者がいる。これが実態である。やったことの合法性を強調する者は、そこにしか頼るところがないからである。このような者たちは、普段は裁判を否定する言葉を吐いている。この世の裁判に訴えてはいけない、と。裁判に訴えられたから裁判に応じたのだ。いや、裁判を否定するのであれば、和解にすることができるはずだ。裁判に応じて勝とうとするのは、合法性を装うためにすぎない。事前の根回し、情報操作、口止め、恫喝、反対者の切り捨て、正しいのであれば、する必要のないことをして、正体を現している。
by maranatha
| 2013-11-26 21:03