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村上 密 Blog

赦しなさい

 カルト化教会は、赦しなさいで問題を解決する。それは解決ではなく、回避である。被害者救済がない。むしろ、被害者に赦しが強制される。彼らは、ペテロの何度まで赦すべきでしょうか、の質問に対して、イエスは「七度を七十倍するまで」(18:22)と応えられた言葉を強調する。この言葉を文脈で理解すると無条件でないことが分かる。悔い改めた人を赦すようにとの勧めである。一万タラントを返済できないしもべが、ひれ伏して猶予を求め、全部支払うと言っているので、主人はしもべの借金を免除してやった。ところが、このしもべから百デナリ借りていた仲間が、返済できず、猶予を求めた。それをしもべは承知せず投獄した。そのことを彼の仲間たちが知って、主人に一部始終を伝えた。主人はこの猶予を与えなかったしもべに対して赦しを撤回し、投獄した。この物語は、悔い改めた人を赦すようにが、真意であて、どんな人に対しても赦せではない。

 マタイの福音書は、ユダヤ人クリスチャンの為に書かれたと伝えられている。だから、言わなくても分かることは省いている。ところが、ルカは、異邦人クリスチャンの為に福音書を書いた。だから、説明的に書いている。「気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るならば、赦してやりなさい。」(17:3、4)ルカとマタイのどこが違うか。「悔い改めれば」が条件として書かれてある。カルト化教会の無条件ではない。よく読むと、「兄弟が罪を犯したら、彼を戒めなさい。」とある。はたして、牧師は罪を犯した人を戒め、悔い改めに導いているだろうか。支払い能力があって悔い改めていれば、当然返済をするはずである。しかし、単なる赦しなさいが横行している。さらに聖書を見ると「『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るならば」とある。カルト化教会でこのようなプロセスが踏まれているだろうか。それがあったら、被害者は悩まない。苦しまない。悔い改めているとは思えない言動を罪を犯した人が続けているので被害者は悩み苦しむのである。それも、形式的に一度来ても、それ以上来ることはない。謝罪のパフォーマンスでは、謝罪を得ることはできない。悔い改めが赦しを得る道である。ただし、返済免除を期待してではなく、返済する覚悟を持って赦しを求めなければ本当の悔い改めではない

by maranatha | 2014-03-12 18:18 | 赦し
宗教問題

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