2014年 05月 19日
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宗教トラブル相談センターには、なぜ、大きな問題を起こした人物が、超教派の大会に講師として招かれるのか、という問い合わせがよくある。招く方も、招かれる方も、問題を問題として認識していないと思われる。人間関係や興業(大会)を優先している。講師が、初期のころに問題を起こしていたら、招かれるような講師になっていなかったはずである。メディアに取り上げられ、人々に、その人物の評価が定着すると、もはや、メディアは、その人物が余程の問題を起こさない限り、その人物の問題を取り上げることはない。そのために、問題視される人物は、定着したイメージのままである。そして、その人物を知らない人々によって招かれることが続く。どこかで、だれかが、問題を明らかにしなければならない。それはリスクを犯すことではあるが、それをしなければ定着したイメージに引きつけられる人々が、将来不利益を被ることになる。「村上密ブログ」は真実な姿ではなく、獲得したイメージで評価される人物やムーブメントの問題点を指摘し続けている。反応は、問題点が分かった。離れる決心がついた。もう少し留まってみたい。批判ばかりしている。いろいろである。メディア受けする人が正しいとは限らない。それは、大衆迎合であることが多い。
人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々と教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。(2テモテ4:3、4)
by maranatha
| 2014-05-19 16:51