2014年 07月 06日
ヨハネの福音書の書かれた目的
ヨハネの書かれた目的は明白である。「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(20:31)イエスが神の子であることを、1章では「初めに、ことばがあった。ことばは神ともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。」(1:1、2)と書き出して、「ことばは人となって、私たち間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(1:14)と受肉に言及している。ヨハネは、ことばの永遠的存在をかたり、この方によって世界が創造され、このお方が人となられた。このお方がイエスである。このお方(イエス)がキリスト(メシア)であると証言している。また、神と言葉の関係を、神とひとり子の関係として書いている。私たちは、ヨハネが、イエスが神の子キリストであることを1章からはっきり語ろうとしていることを知ることができる。
ヨハネは奇跡を栄光としている。「イエスはこのことを最初のしるし(カナの奇跡)としてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現された。弟子たちはイエスを信じた。」(2:11)最初のしるしが書かれ、第二のしるし(4:54)がある。これは王室の役人の息子の癒しである。しるしは奇跡である。ヨハネの福音書にはこの他にも奇跡を書いている。それは、イエスが栄光を現されたと言いたいのである。この奇跡が、イエスが神の子キリストである証拠である。それで、奇蹟の場所では、誰かが信じたと出てくる。
ヨハネの福音書は、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)と比べて、多くのイエスのことばを記録している。それは、ことばが人となった、このお方のことばを人々に伝えたいからである。人々がイエスのことばを聞いて、イエスが神の子キリストであることを信じてほしいのである。そういうわけで、奇蹟とことばはイエスが神の子であることを信じるように書かれたものであることが分かる。このような観点から、何度もヨハネの福音書を読まれることをお勧めする。
by maranatha
| 2014-07-06 20:58
| ヨハネの福音書